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日曜日
10312010

Reプロジェクト

幸せについて考えることはもう一つの幸福だ。

2拠点居住
一石二鳥
余りものには福あり
伝統と革新

Define計画(略して「Re」)とは「再定義」をさす、動詞です。


ある対象について深く考えることによって、その対象が、まるで初めて見るかのような新鮮さを取り戻すことがある。例えば、いつもの地下鉄も一つ先の駅で降りてみる。逃げ出した飼い犬を探して一本裏路地を歩いてみる。そうやって人は街ですら「Re-Define」していく。

それってつまり。Reの先、真の秘境とは地球の裏側やジャングルの奥地に行っても、きっと見つからないってこと。それよりも、あたりまえの景色、身近な匂いのなかにこそ秘境ってやつは隠れていたりします。

つまるところ、「生きる」とか「冒険」ってやつは、だからおもしろい。

sato より:
08/17/2010 17:39
例えば、僕らは「花」について多くの経験をしずぎているがゆえに、花のリアリティが分からなくなっている。

多くの才能ある写真家が競って花の写真を撮るのは、花が美しいからではない。人の心を動かしてやまないその対象物を、未だかつて誰も捉え得なかったイメージとして捉え直すことに惹かれてやまないからである。生まれて初めて花を見るような鮮烈な感動を、静止した画像として成就させる情熱に憑かれてやまないからである。石元泰博の花の写真に、あるいはロバート・メイプルソープの花の写真を通して、僕らは花のイメージを未知なるものへと更新することができる。

Re-Difineとはそういう行為であり、現象である。それを「未知化」と言い換えることもできる。既知化し惰性化した知識を、根源の方に戻して感じ直してみることで、僕らは新鮮にものごとを認識しなおすことができるからだ。「分かる」とは元来、そういうことだったのではないだろうか。

太古の昔にソクラテスが述べたとおり、僕らは世界に対しては永久に無知である。そしてそれでいいのだ。世界のリアリティに無限におののき続けられる感受性を創造性と呼ぶのだから。

sato より:
08/23/2010 10:54
街を街として、花を花として、何度でもReできる。永遠に繰り返されるその再定義という行為。それはフロントガラスに落ちた一滴のオイルのように、しつこく僕らの毎日を覆う「飽和」や「達観」をブレークスルーしてくれる。

大切なことは、僕ら自らにRe:再定義という能力が、あたりまえのように備わっているということ。

戦場に丸腰で産み落とされた赤子とは違い、ひとたびコツをつかんでしまえばいつだってワクワクした気持ちで朝を迎えられる。

 

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