THURSDAY
水曜日, 11月 21, 2007 at 2:59午前 バーン!
誘拐犯として私を起こした爆音がまた聞えた。
それは隣の家のおにいちゃんが朝帰りを知らせる騒々しい音だった。
趣味の悪い国産の高級車に
張りぼての様に取り付けられた違法改造のマフラーは
金を与えるしか能のない親のコネで車検を通したのだろうと
山田さんが残念そうに言っていた。
そのうち、またいつものように
おにいちゃんがおばさんを大声で罵倒する叫び声が聞えてくるはずだ。
ふんだんに乳を与えられた赤ん坊が、
必死に泣き喚いて何かを求めているみたいに。
叔母さんの家にやってきたばかりの頃、
私はよくおにいちゃんに遊んでもらった。
やがて、私の人生をかすかなに照らしていた心もとない光さえ、
蝋燭が突然途中で折れて消えてしまうかのように叔母が死んで、
叔母の家から少し離れた養護施設に預けられてからも
おにいちゃんはなにかと私の相手をしてくれた。
施設には施設のルールがある。
大人の社会には大人のルールがあるようにだ。
私は施設にやってくるのが他の子達よりも遅かったから、
すでに出来上がっている彼らのルールに
何かと溶け込むのに時間がかかった。
今はコンタクトに代えてしまったけれど、
大きなメガネをかけていた頃
おにいちゃんは本当によく転んでいた。
森の中で虫を追いかけていても、
運動会の借り物競争で
校長先生の大きな白い帽子をかぶりながらも、
おにいちゃんは見ていて気持ちがいいほど思いっきり転んだ。
何もない平坦な道でさえも
おにいちゃんは面白いほどよく転んだ。
そして転んでも、転んでも、
おにいちゃんはいつも笑っていた。
サイズが幾分ずれたメガネを片手で押さえながら
おにいちゃんはいつも私の前を歩いていた。
私はといえば、
またおにいちゃんが何につまづくわけでもなく
転ぶんじゃないかと心配しながら、
どこかでワクワクしていた。
女の子なら誰でも
映画や童話の世界のお姫様みたいな未来に憧れる。
綺麗なドレスに身を包んで
憧れのあの人と幸せに暮らす未来。
子供は男の子と女の子を一人ずつ欲しいとか、
一戸建てよりもマンション暮らしの方がいいなんていう
結構現実的なオプションを足したり引いたりしながら未来を描く。
でも、女の子だった頃の私には
シンデラや白雪姫よりも
母親がいる過去を取り戻したかった。
私は家族が欲しかった。
でも、祖母からの手紙が届いた日、
誰にも言わずにずっと両手で握りしめていた
私の他愛もない夢は、
とけてなくなってしまった。
気がつくと、私が必死に握っていたのは
心を黒く覆う廃油のような液体だった。
私は心を奪われまいと、
必死に太陽を思い出そうとするのだけれど、
その日ばかりはなかなか描けない。
太陽を描こうとすればするほど、
太陽は場違いのように大きな笑顔に見えてしまう。
私が描いた太陽は、お兄ちゃんだった。
やがて、親になりきれていないおばさんは
わが子を持て余し途方に暮れ、
両手で耳を覆っておじさんは定刻どおり玄関から出て行く。
母が生きていた頃と、叔母の家で暮らした数年間をのぞけば
ずっと施設で育ち、
今また山田さんのいる叔母の家に戻ってきた私には、
そこにあるものがいかに不安定な家族ごっこにしか見えなくても
彼らを笑うことも同情することもできやしない。
誰だって見たこともない映画は批評できないのと同じだ。
私は開けっ放しの部屋の窓から、
朝日に透けるカーテン越しにおにいちゃんのほうを覗いた。
しかし、虫取り用の網を振り回して
近所の猫を追いかけていた頃の
優しかったおにいちゃんの面影は
スモークガラスの向こうでは見えても来ない。
女の子だった頃に、
私が望んだすべてを持っているのに、
もうおにいちゃんは私の前を歩いてはいなかった。
佐藤寛孝 |
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