玉子焼き
土曜日, 3月 10, 2007 at 1:10午前 先日 、ある友人の祖父母が孫の暮らすニューヨークへと、生まれて初めての海外旅行にやって来た。
友人は飛行機のチケットやホテルの予約等、八十近くの祖父母のために奔走していた。二人の滞在中は一緒にホテルに泊まり、毎日一緒に行動したようだ。根が世話好きな人だから親身になってお世話をしたのだろうと、僕なんかにも想像がつく。
結果、二人は大いに楽しんで帰路についたとのことだった。 そして、先日その祖父母から一通の手紙が友人のもとに届いた。その一節に、NY滞在中に食した物について書かれている箇所があった。 「そちらでの滞在中にみくちゃん(友人の名前)がたくさん美味しいお店に連れて行ってくれたけど、一番の思い出は皆で一緒に食べたピザと外国産のビールでした」
旅の最後の晩、翌朝の出発の時間を考えて友人のアパートで軽くピザを食べたのである。 色々食べ歩いたNYの食事情で、ピザにコロナ(二人が飲んだ南米のビール)が思い出に残っていただけるとは、中々いかしたご老人だなぁと、この話を聞いた僕なんかは思ってしまった。
というのも、いったん日本を離れ海外などに暮らすと、それまではなんとも思っていなかった日本食がどうしても貴重な物に思えてしまう。習慣とはまことに恐ろしいもので、体がおのずと幼い時から食してきたものを欲するようになるのである。旅行や短い期間の滞在ならいざしらず、自分がいつ日本に帰るのかはっきりとしていない者にとっては、余計に無いものねだりをしたくなるものだ。
ということで、今夜も僕は鶏のから揚げと炊き込み御飯の組み合わせで夕食を楽しんだりしているのである。せっかくだからと、母親の懐かしい作り方を思いだして作ろうと試みたが、なにぶんにも目分量がモットーの母のレシピなものでいざ出来上がった物を食べてみてもどこか懐かしいやらはて初めて食べる味のようやらと、自分でも変な気分になってしまった。
食べ物の話で印象深いのは甘味の卵焼きについてである。
いり卵にしろ、厚焼きにしろ、僕は甘味の卵焼きが苦手なのである。鮨屋や日本食のお店が出す、ほのかに甘いダシ巻き卵は食べられるのだけど、家庭で一般に作られてお弁当のおかずなどになる、あの甘い卵焼きは遠慮したい。
あれは確か、小学校の遠足の時だったと思う。お昼時になり、みんなが持ってきたお弁当を、おもいおもいの場所で広げ始めていると、偶然僕の隣に座っていた一人の女子が突然泣き出して、ひざの上にのせていたお弁当を落としてしまった。
突然のことに、周りにいた僕や友人たちが呆然と彼女を見つめていると、担任の男の先生が彼女のもとに飛んできた。
彼女が泣いているためほとんどかすれて聞き取れないような小さな声で、必死に「たまごがあまくない」と言っていたのを、一番近くにいた僕は聞いてしまった。先生は彼女を抱きしめて、それからそっと自分のお弁当を彼女にわたし、「こっちを食べなさい」と泣いている女子に優しく言った。
この時の僕には彼女が流す涙の理由もいつも怖い顔の先生が女の子を抱きしめている光景も、上手く理解することが出来なかった。ただ、卵が甘くないと必死に訴えていた彼女のか弱い声だけが強く印象に残っただけだった。
あれかれどれくらいたった後だろうか。遠足の日に突然泣き出した女子とは中学校を卒業するまで一緒だったのだが、彼女の苗字が変わったと中学の担任の先生が小さな声で簡単に述べた日があった。
ずいぶんと後のなって分かったことだが、遠足の当時彼女の両親は離婚したばかりで一時的にではあったが父親に引き取られた彼女には若い新しい母親が出来たらしかった。あの涙から想像するに、きっと新しいお母さんの作る卵焼きは甘くなかったのだろう。 あの日の、彼女の小さな叫びは必死なSOSだったのかもしれない。
記憶とはずいぶんといいかげんなもので、昨日まで忘れていたのにある日なにかのきっかで突然思い出したりする時がある。突然誰かに叩き起こされ引きずり出された「想い出」が絵に描いたような都合のいい物とばかりは限らない。幼い頃に使っていた筆箱の匂いを思い出すことが出来ても、目の前の大切な人の名前が出て来ないこともある。時に、残酷で思い出さずにいた方がどれほど良かっただろう記憶に出会ったり、どうせ思い出すなら人に自慢できるようなものが良いのにと、誰でもない自分自身の過去に悪態をつきたくなるから性質が悪い。
ないものねだりの素敵な思いでも食べたくてもなかなか口に出来ない日本食にしても、突然思い出したように欲しくなり散々騒いで大騒ぎするくせに、飽きてしまえばまたいつか何かのきっかけで思い出すまでそんなことがあったわねぇなどと言っている。こんな態度じゃ、物事の堂に入ってどっしりと構えて生きていく何てことは到底出来そうになく、東に西へ北に南へ気がついたちょこまかと一人慌しく駆けずり回って生きている、僕と言う人間が出来上がっている。そんなんだから、大事の前の小事にばかりにとらわれて、明日の夕食何にしようかなどと考えては、大切な約束をすっかり忘れてしまうのである。
佐藤寛孝 |
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