SUNDAY
日曜日, 3月 16, 2008 at 10:16午前 やっぱり、父の話をしようと思う。
だって今私が息をしたり
冷めたご飯をのどにつまらせて死にかけたり
出し忘れた生ゴミに手を焼いたり
見たかった番組の録画に失敗したりしながら、
それでも生きていられる半分の理由は
父がこの世に存在してくれたおかげなのだ。
子供だった頃、
誰だって一度は親の馴初めに興味をもって
話をねだるものだと思う。
そんなふうにして自分の知らない二人の世界をのぞくのは
母のひざに頭をあずけて
耳のそうじをしてもらっている時のように
なんともこそばゆいけど温かい経験だった。
それは何世代も前のご先祖さんについて知るよりも
ずっと自分という人間が
なんでこの世に生きているのかを
実感できたからだろう。
だから、母が父の話をしてくれた日のことは、
母との大切な思い出の中でも
ひときわキラキラと輝いている。
母はその日、朝からささげを煮ていた。
鼻の億にまで優しく届く匂いで目が覚めた私は、
鍋の中でぐつぐつと踊りながら
豆たちにやさしく火が通るのを布団のなかで想像して、
一人笑顔を毛布に押し当てていた。
母がお赤飯を炊いてくれるんだなと嬉しくなっていたからだ。
体が弱く、私が物心ついてからは
ほとんどベッドの中にいた母には
時々、本当にまれに、驚くほど元気でいられる
そんな不思議な日があった。
もしかしたら、母の病気は
本当にもう完全に治ってしまったんじゃないかと
誰もが信じられそうに、いやそう信じたくなるくらい
それはある意味で残酷なほどに
幸せでかけがえのない時間だった。
そして決まってそんな日、母はお赤飯を炊いてくれた。
母のつくるお赤飯は、信じられないくらい美味しかった。
多分だけれども、それは、
普段炊飯器で炊いたご飯を食べていた私たちと
お赤飯の時だけは母が圧力鍋を使っていたことに
多少の関係があったのかもしれない。
私は、「こっちの方が不思議と美味しくできあがるのよ」と説明しながら
大きくて重そうな鍋と格闘する母の背中が
当時も今もたまらなく好きなのだ。
ベッドを抜け出した幼い私は、
朝からいっぱいの太陽が差し込む小さなキッチンで、
ただ母の背中を眺めているだけなのに
お腹が本当にいっぱいになってしまった。
それはこの先、私にどんなに辛い出来事がおとずれたとしても
母のあの背中と豆の煮えるにおいが
私の心から消えてなくなってしまわない限り、
私は真の意味で不幸ではないのだよと
神様みたいな存在の誰かに言われたとしても
私はきっとそうなんだろうなと
素直に納得してしまうくらい幸せに溢れた世界だった。
きっと、母が豆に下味をつけるために鍋の中に入れていたのは、
そういう特別なスパイスだったのだ。
そして母は鍋のふたの上で元気よく暴れつづける錘(すい)を
楽しそうに見つめながら、父の話をしてくれた。
母の話に耳を傾けながら、
私はというと、
意外と冷静に
あぁだから母はお赤飯を炊いているんだなぁと考えていた。
母はきっと、幼かった私に
父の話を忘れてもらいたくなかったのだ。
キラキラ輝きながら幸福の匂いとなって
一生私の心に残る思い出と一緒に
母は父の話を炊いてよこそうとしていたのだ。
佐藤寛孝 |
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