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<!--Generated by Squarespace Site Server v5.11.81 (http://www.squarespace.com/) on Sat, 18 Feb 2012 02:29:57 GMT--><rdf:RDF xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#" xmlns:rss="http://purl.org/rss/1.0/" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/" xmlns:admin="http://webns.net/mvcb/" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/" xmlns:cc="http://web.resource.org/cc/"><rss:channel rdf:about="http://www.creative-platform.com/sono3/"><rss:title>どらやき三つ</rss:title><rss:link>http://www.creative-platform.com/sono3/</rss:link><rss:description></rss:description><dc:language>ja-JP</dc:language><dc:date>2012-02-18T02:29:57Z</dc:date><admin:generatorAgent rdf:resource="http://www.squarespace.com/">Squarespace Site Server v5.11.81 (http://www.squarespace.com/)</admin:generatorAgent><rss:items><rdf:Seq><rdf:li rdf:resource="http://www.creative-platform.com/sono3/2007/2/10/908809.html"/></rdf:Seq></rss:items></rss:channel><rss:item rdf:about="http://www.creative-platform.com/sono3/2007/2/10/908809.html"><rss:title>どらやき三つ</rss:title><rss:link>http://www.creative-platform.com/sono3/2007/2/10/908809.html</rss:link><dc:creator>佐藤寛孝</dc:creator><dc:date>2007-02-11T04:24:54Z</dc:date><dc:subject></dc:subject><content:encoded><![CDATA[<div class="body"><p>二年前の春に突然思い立ち、同じ年の夏、僕は数ヶ月かけてインドネシアを旅した。東南アジアに行くのはそれが初めてではなかったが、数ヵ月単位でとなると初の、それはなんとも贅沢な旅だった。<br /><br />ニューアーク空港を夜中に発ち、途中シアトルと台北で乗り換え、丸々２４時間後に首都ジャカルタへと入った。熱帯地域特有の絡みつくような暑さと湿気が孤独なバックパッカーを静かに迎えてくれた。<br /><br />それは台北からジャカルタへと向かう機内での話しだ。何気なく眺めた眼下の景色に僕は目を奪われるという一幕があった。<br /><br />インドネシア第二の島、スマトラ島東部の上空を飛行機は飛んでいた。しかし、それがスマトラだと分かったのは、隣の席の紳士がそう教えてくれたからであって、純粋に僕がそこに見たのは、人間の存在を微塵も感じさせることのないジャングルの景色だった。<br /><br />密林のジャングルとはうまく言ったもので、確かに高く伸びた木々がお互いに絡まりあうかのように聳え、地面を完全に覆い隠している。小学生の時に使った、１２色だけの絵具にあった、あの濃く鮮やかな「緑色」が遠く地平線の彼方まで覆っていた。<br /><br />その景色のどこを探しても、「道」は見つからず、緑色の世界にはただ、緩やかなカーブを繰り返しつつ流れる茶色の大河が走るだけだった。そこを行き交う船の姿すらも見えない。<br /><br />「あの中にはきっと、トラやチンパンジーが当たり前のように生きているのだろう」。僕は飛行機の視界からスマトラのジャングルが消えてなくなるまで、動物園の檻のまえでただひたすら猛獣を見つめる子供のように、眼下の世界を眺めていた。<br /><br />インドネシアでの数ヶ月間で味わった多種多様の興奮。長距離バスと突然のスコール、農村の病院での親切、子供たちが鬼ごっこをする脇で繰り返される祈りの儀式、世界最高峰の波に挑むサーファーたち。あげればきりがないくせに、でも、あのジャングルを眺めた後ではどれも、瞬間的な興奮にしか成り得ない気がしていた。<br /><br />僕は旅をする時、可能な限り地図を持たない。すでに存在する「地図」をあえて持たずに歩く旅。自分の中に、自分のためだけの地図を描くという十代の頃から変わらない、なんともまわりくどいスタイル。僕はそれを密かな冒険だと自負していた。<br /><br />しかし、飛行機の眼下に広がっていたジャングル。厳密に、そこが未開の地であるのかは定かではないとしても、そこにはあたりまえの「道」すらなく、だから地図など元から存在しない事実があった。正真正銘、「地図のない旅」ができる、残り少ない世界。<br /><br />僕があの時無性に興奮したのは、生まれて始めて「ジャングル」を眺めたからではきっとなく、現代社会の中であたりまえに生活していると気にもとまることのない世界の存在に突然ぶつかってしまったからだと思う。道を歩くのが当然の僕の旅の前で、道すらもないジャングルはあまりにもまぶしすぎた。<br />　</p><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　★</p><p><br />二年前の思い出を振り返る時、同時に蘇る記憶がある。ある本の中で、「『全ての道はローマに通ず』という言葉の本当のすごさを実感したければ、実際に西欧を訪れてみるべきだ」と書かれていたことだ。<br /><br />ローマ帝国の覇権がこれだけ広範にしかも長期間に及んだのは、数多い政策の中でも、街道の設備というローマ人のインフラ整備の妙が一つ挙げられるかもしれない。共和政の時代から帝政終焉まで、ローマは新しく覇権した地域にひたすら道をひいた。<br /><br />ハード面で、整った道路は軍隊移動や物資などの後方支援の敏速さを高める。当時、軍事学上非常に重要なこの課題をローマ人ほど正確に理解していた国民はいなかった。統治地域が広大になれば、防衛線は自ずと拡大する。敵の侵入に、覇権地域内での反逆に、ローマ軍が迅速に対応するために、道が築かれていった。アレキサンダー大王は制覇し、ローマ人は統治した、のは偶然ではないのだろう。<br /><br />さらに道がもたらしたソフト面での恩恵となれると計り知れない。異民族が異民族を、異文化が異文化を吸収し、治める。これは言ったら、ローマ人が国家という基盤の内部に爆弾を抱える道を選んだということである。ローマ国家ほど、敗戦国とその人々への扱いが寛大だった国も珍しかった。ローマ市民権は、ローマ覇権が及ぶ社会内におけるステータスであって、血によって別けられ閉ざされたアイデンティティーではなかった。<br /><br />なぜならば、彼らはほとんど常に、他国人に「隷従」ではなく「共存」の関係を望んだからだ。必要を感じれば、国家の政策として、非征服者にも市民権を与えた。社会に彼らを取り込むための、国家が他民族と共存から益を得るための、「パス」として市民権は頻繁に用いられた。一時的な繁栄を享受したアテネやスパルタが滅び、ローマが残った所以はそこにあったのだろう。全ては共存のためである。そして、ここにおいて「道」の果たした役割は非常に大きかったわけである。ご存知の通り、道は物理的なコミュニケーションを生む。まず物品が流通し、商人が行き交う。物はその機能と同時に作り手や使用者たちの文化を運び、やがて一般の人々が行きかうための礎を築くことになる。道の向こうに「新しいローマ」が生まれるのである。<br /><br />コミュニケーションとは相手を知り、理解することから始まる。ローマ人と非ローマ人にとって、市民権は社会統制上において共存するためのパスになったが、彼らの心の共存は「道」が運んだと言ってもいいだろう。ＴＶも、雑誌も、インターネットもない時代、相手を知るには、そして自分を知ってもらうためには、隣の村、隣の国へと通ずる「道」がもっとも有効だった。<br /><br />遠い昔、ローマによって世界の歴史のひのき舞台へと紹介された現在のヨーロッパの多くの地域には、当時ひかれたローマの街道が現在も多く存在する。その姿が高速道路やアスファルトに変わっても、コミュニケーションの原型であった「道」は残り続けているのだ。<br /><br />「道」は素晴らしき人類の遺産であろう。道というコンセプトがなければ、人類の歴史は存在しなかった。人と人との関係は結ばれなかったのである。社会は今よりもずっと画一的で、つまらない世界だったかもしれない。一本の道がひかれれば、そこには人が歩き、馬のひづめの音が聞え、車が排気ガスを撒き散らして走りぬける。そうやって開拓された地域や文化は、大衆化する。<br /><br />「心に感じることのできるデザイン」と遠藤氏は言う。良いデザインが良いコミュニケーションを作り出すと。<br /><br />本屋に行けば「コミュニケーション」の方法を教えてくれる親切な書物で溢れている。道がどこに私たちを連れていってくれるかをしるための「地図」みたいなものだろう。しかし、コミュニケーションなんていう比較的新しい言葉に踊らされて、忘れるべきではないこともある。<br /><br />ジャングルを前にした冒険家の前に道がないように、ローマ人が異国人を理化するためにひたすら新しい道をひいたように、僕たちが誰かと築こうする新しい関係に「これをやればいい」という便利なフォーマットなどは存在しない。<br /><br />あの人へ届きたいと思って走った高速道路で、その人との関係は開拓できないかもしれない。心で感じるには、新しい道をその人に向かって築いていくしかない。道は、古の人々が、悩み考え想像して築いてきたのである。出来上がった道を歩く生き方を否定するつもりは毛頭ないが、この事実を忘れてはならないと思う。<br /><br /><br />はて、この森を抜けたら、あの人の元にたどりつけるのだろうかと、思いつつ僕は今もメールの返事を待っている。<br /></p><!--
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