第八章「雪のお値段」
水曜日, 3月 12, 2008 at 4:36午前 「今夜のシャベルはデネンだからな」
そう聞いた僕はとても嫌な予感がした。
デネンというのはフランクの次男坊のことだった。
キャリーにとっては弟にあたる。
歳は僕よりも三つほど下で僕が彼に初めて会った時、
デネンはまだ十七歳の少年だった。
僕のドライバーとしての初仕事に際して
キャリーはデネンを相棒に送ってよこしたのだ。
何か意図があるのは明白だった。
デネンはキャリーやフランクといった
「エグゼクティブ」の男たちとはかなり異なっていた。
「なんたって、デネンには夢があるからな」
キャリーは冷やかした感じに言う。
むろんフランクやキャリーにだって夢はあるだろう。
若いキャリーにはそれこそ野望のようなものもあるはずだ。
「全米雪かき協会」なる摩訶不思議な団体の傘下に入って、
毎年開かれる会合や勉強会などへ積極的に出席しては
アメリカ中の同業者と雪かきビジネスの未来について、
「熱く」かどうかは知らないが、
難しいことをあーでもないこーでもないと語り合っているのだ。
だが彼らは自分の夢についてあまり多くを語ろうとはしない。
それはなによりも彼らの夢が雪の博徒としての夢であるからだろう。
語らなくても、夢は現実の社会に存在していてわかりやすいのだ。
しかしデネンの場合は違った。
僕が「エグゼクティブ」にやって来た最初の年、
デネンの夢はテレビゲームのプログラマーになることだった。
別にこちらから訊いたわけではない。
本人が勝手にそう話してきたのだ。
僕が日本人であると知った彼は眼を輝かしながら、
「できることなら僕も日本人に生まれていたかった」 、
そう言っていた。
なぜかと僕が会話の流れ上尋ねてみると、
テレビゲームの大半は「メイド・イン・ジャパン」だからだと言う。
日本人であったなら最新のテレビゲームを
アメリカで発表される前に楽しめるはずだと彼は真剣に語っていた。
キャリーのしたたかさに比べると、
デネンにはなんだかとても幼さなさが感じられた。
そして、デネンは博打が嫌いだった。
彼は雪を見てもちっとも興奮しなければ、
雪の世界に何か映るものを見ることもなかった。
彼は雪の仕事にロマンの欠片も見つけることはなかったのだ。
それこそが「エグゼクティブ」の男たちと
彼との間を隔てる決定的な違いだったのかもしれない。
二年目の冬、僕がトラックのハンドルを握るようになると、
キャリーは僕にデネンを連れて仕事をさせたがった。
理由はいたって単純だ。
デネンは喋っているだけで仕事をほとんどしないからだった。
おかげで他のドライバーからは一緒に働くのを嫌がられる。
問題は仕事をしなくても、
彼がフランクの息子だから苦情も言いづらいということだった。
フランクのことだ、そんなことで
どうこう言う人ではないのだがそれでも気を使うのだろう。
扱いづらいと不平が続出して、
誰もデネンを連れて仕事に出たがりはしなくなっていた。
そこで、デネンのお守り役に僕が選ばれたのだ。
ヤクザの世界で言うところの「教育係」みたいなものだろうか。
僕はデネンを仕事以外の時から知っていたうえに
キャリーやフランクに気をつかって
彼を甘やかす理由もないというわけで白羽の矢がたったらしい。
「仕事をさぼろうとしたら蹴ってでも働かせてくれて構わないぞ」
実の兄はそこまで言っていた。
しかし、周囲のそんな気持ちも、
教育係の気苦労もどこへやらといった感じで、
デネンはたいていトラックの助手席で
どうでもいいようなことを一方的に喋っているか、
はたまた気持ちよさそうに眠っているかのどちらかだった。
もちろん僕に強制されてシャベルを握ることもあったのだが、
「こんな仕事は絶対したくない」という
彼の想像以上に強い意思に逆らって
無理やり労働につかせるほうが僕には面倒な仕事になったため、
仕舞いには僕も彼のことは放って置くようになったのだ。
さらに、もともと僕はデネンのように
よく喋る男というのが嫌いではないという弱みもあった。
人の話を聞くことが仕事の大半であるジャーナリストにとって
自分のほうから喋ってくれる人というのは歓迎すべき存在ですらある。
そしてシャベルとしてのデネンは
全くと言ってもいいほど頼りにならない子分であったのだが、
食べた分のエネルギーを全て
喋ることに費やしているかにすら見える彼は、
違った面では最高の相棒であった。
デネンを通して、僕は雪相手に繰り広げられる博打の世界の
細かな仕組みみたいなものを知ることができたのだ。
本来ならばそれらについて
詳しく説明してくれるはずだったフランクやキャリーが
あまりにも多忙だったという誤算も関係していた。
こちらから話しかけたくても、
常に仕事に追われていて気がひけるのだ。
ジャーナリストに必要不可欠な
ある種の大胆さや図々しさが
僕には根本的に欠落していたのだろう。
だから、彼らから詳しい説明を受けることができていなかった。
もちろん自分自身で働いているうちに理解できる点も多々あったが、
それ以上にどうしてもわからないことも多かった。
そんな時はたいていデネンが僕の講師となって
非常に丁寧に教えてくれたのだ。
二年目の冬にトラックで開かれた講義の中の一つに、
「雪かきの値段の仕組み」というものがあった。
実際に仕事をしているくせに、
僕にはちっともフランクが正確にはどのようにして
お金を稼いでいるのかがわからなかったのだ。
賭場の細かな仕組みが見えてこなかったのだ。
僕の疑問とは細かく言えば、つまりはこういうことだった。
例えば一台の除雪車が担当する一つのルートに
十数箇所の現場が含まれているとする。
フランクは顧客とシーズンを通して契約を結んでいるのだが、
しかしそうとはいってもそれぞれ十組の顧客と結ぶ契約の一つひとつが
全く同じであるとは思えなかった。
なぜなら、十箇所の現場がそれぞれ異なった仕事を求められていることに
自分自身がトラックを運転するようになってわかってきたからだ。
ルートの中に書き込まれた一つひとつの現場に対する指示には、
細かな違いが山ほどあった。
その違いの中には、駐車場の有無やその規模などもある。
隣接する歩道の幅などによってはトラックで入り込めるか、
それともシャベルで雪をかくことになるのか。
全ての違いを挙げればきりがないほどだった。
また、ひと口に顧客と言っても、
その中には新規の顧客も何年もの間
継続して仕事を請け負っている顧客も含まれる。
雪の博打を常に流動的な冬の天気のように捉えているフランクが、
どんな顧客もひとまとめにして
一定料金で仕事を請けているとは思えなかった。
なんらかの人間味のある査定方法が存在すのではないかと
僕は想像していたのだ。
デネンの生き方はどこか女性的なところがあり、
多くの場合は簡潔とは程遠く的を射ないのが特徴なのだが、
彼の説明に関してだけ言えば、
それは非常に明確な上、
論理的でしかもウィットにも富んでいてなかなか面白かった。
一度振り出した雪はなかなか止むようなものではないため、
トラックに同乗した僕らには有り余るほどの時間を潰す必要があった。
デネンは喋り疲れて語ることに
飽きるタイプではなかったのも幸いだった。
これで、僕のほうさえ辛抱強く耳を傾けることができれば
大抵の質問に説明を得ることができたのだ。
「フランクが現在の方法で雪かきの料金を徴収するようになるまでには、
それこそ多くの試行錯誤があったのだけれど……」
と言ってデネンは説明を始めた。
シーズンを通して安定したサービスを
約束する新しいアイデアが評判となり、
顧客の数が増え始めると、
フランクはそれまでの料金制度をまったく新しいものへと切り替えた。
従来の、一度雪かきをしたら幾ら貰うという原始的な方法では、
お互いに知らない仲ではない少数の顧客を相手にして
仕事をするうえでは十分機能しても、
この先増え続けるであろう新規の顧客との契約の際には
不便な点が出てくると考えたからだ。
シーズン契約というのは一種の「保険を売る」ということでもある。
冬の間、いつ雪が降っても
「エグゼクティブ」が顧客の代わりに雪をかき、
万が一その約束を果たさなかった際には、
生じうる第三者からのいかなる事故やけがなどの
賠償責任請求も引き受けるということだからだ。
もちろん、雪かきをしたあとで、
いちゃもんを吹っかけられた場合の対処は顧客の側にあるとしている。
原則的にはフランクはただ法律で定められた時間内に
雪をかきさえすればいいのである。
雪かきは確かに一種の保険ではあるのだが、
フランクに商才、いや縛才なるものがあるとすれば、
それは保険のかけ金、
つまりは保険料をかなり安く設定しているという点にあった。
ニューヨークが日本の青森県と同じ緯度に位置しているとはいえ、
毎年本当に雪が降るかどうか、そして降ったとしても
どれだけ頻繁にどれだけの積雪になるかといったことは、
実際に冬になってみなければわからないことでもある。
賽の目の出方は、予測不可能な天気しだいなのだ。
フランクは自分が相手にしている顧客の多くが、
街の商売人である事実をわきまえている。
そして商売人は日々いかにリスクを抑えて
自分の儲けを大きくするかを考えている。
そんな連中相手に、安定したサービスを約束する代わりとはいえ、
冬になってみなければどれだけの雪が降るかわからないところに
莫大の保険金を払ってもらえるなどという
甘い考えをフランクは抱かなかった。
そこで彼はあえて保険金を可能なかぎり安く設定したのだ。
全ての顧客から冬前に振り込まれる保険金を集めただけでは、
実際の儲けはおろか、ベースの半年分の家賃ほどにしかならない。
そこまで極端に下げた。
すると顧客たちは契約によって手に入れる
「安心」に対する保険の掛け金ならぬ「賭け金」の安さに心を奪われる。
これこそがフランクの博徒としての腕の見せ所、
つまり賭場に客を呼び込むために払われた周到さだったのだ。
「その代わりに」とフランクは顧客に言う。
「雪が降れば、その分の仕事代をいただきますよ」
「安心」を「シーズン契約」という保険で破格的に安い値段で売り、
自分の儲けは実際に雪が降ることで出してみせる。
生命保険や自動車保険などという
天下公認のあまっちょろい博打などを遥かに超えた、
雪の博打が非常に大きな危険を伴った
真の博打である所以はここにある。
客の側からすれば、雪があまり降らなかった年には
おいしい勝負に勝った気になれるし、
たとえ雪が降ったとしても、
もともと支払う必要があった出費なのだからと、
それこそ納得すらできる。
商売人は元来博打が好きだという傾向と、
相手のリスクをできるだけ低くさせることで、
さらに彼らを自分の賭場へと引っ張り出してくる。
これがフランクの賭場が常に人で溢れている理由だったのだ。
フランクは毎年新規の契約でも継続する契約でも、
それらを結ぶ前には必ず彼自ら雪かきの現場へと赴き、
細部にわたる査定を行なう。
それはキャリーがこの商売でもっとも気を使うという作業でもあった。
歩道の幅や駐車場の広さなどを特殊な計器で正確に測り、
仕事をする際に障害物になりえるものはないかと
調べて回ったりもする。以前僕はキャリーから、
彼がこの作業を覚えるためにフランクについて回った際に、
自ら作成した査定項目の一覧表を見せてもらったことがある。
そこには優に四十を超える細かな項目が列挙されていた。
フランクはそれらを少しずつ自らの経験を通して生み出していったのだ。
たとえば、歩道の周りの路上駐車に関する
標識の内容も査定の一つに含められている。
路上駐車が許されている所では、
除雪作業中に自動車を傷つけないようにするために、
歩道の雪かきの仕方を変える必要に迫られるからだ。
そしてそれらの査定項目の一つに、
どれだけの期間「エグゼクティブ」の賭場で勝負をはってきたかという、
いわばフランクと顧客との間の義理とかいった
精神的な査定内容も含まれていた。
そうやって集めた数十種類の査定項目を
全て含めた計算式ではじき出した数字が、
今度は雪かきの料金を出す
もっと重要な計算式の空欄を埋めるひとつになるのだった。
積雪量という数字もフランクは用いている。
この冬は雪が何回降ったかということではなく、
シーズンを通してどれだけの積雪量があったかということで、
料金をはじき出すためだ。
極端な話、以前は雪が降った回数で計算していた時期があったので、
一センチの雪が三度降った冬も
三十センチの大雪が三度降った冬も
同じだけの儲けにしかならなかったのである。
逆を言えば、三センチの積雪をもたらした雪が十回降った冬と、
三十センチの積雪の雪が一度だけ降った冬では
同じ年間積雪量にもかかわらず
儲けが大きく異なるという理不尽な自体が生じていたのだ。
そこでフランクは年間積雪量で雪かきの手数料を取る方法に変えた。
これによって彼の賭場が飛躍的に安定性を増すことになった。
では、毎回雪が降るたびにどれだけの積雪量があったかを、
いったいどのように定めるのだろうか。
現在の「エグゼクティブ」ではニューヨーク市はおろか、
隣のロングアイランドと呼ばれる広大な地区にまで顧客を抱えている。
問題は地理的な範囲が広がることで、
現場によって積雪量にも多少の違いが出てくるということだ。
たった数センチの違いでもお金に換算すれば
数百万円という金額の差を生んでしまうこともある。
顧客の側からすればできる限り
積雪量が少ないことにこしたことはないわけで、
フランクにしたら話はその逆だ。
しかしなににつけても
公明正大な数字を求めるというのは厄介な作業でもある。
両者の側から公平ななどというのはほとんど不可能に近い。
そこでフランクは積雪量に関しては
クイーンズ行政区内のラガーディア空港内に建つ気象観測所が
公式に発表するお上の数字を
どの顧客にも平等にあてはめることにしている。
もちろん商売をしているのはフランクの側なのだから、
勝手に積雪量を決めることもできるはずだ。
実際にそのようにして悪徳儲けている
ライバル会社も存在すると聞いた。
しかしフランクは多少の儲けを増やすために、
大切な客を騙したり、博徒としての筋を外れた行為を
よしとしたりはしていないようだった。
もちろんその数字とてお上の発表することである。
いくらかの金を掴ませて丸め込めないのか
という疑問が生じなくはないのだが、
「エグゼクティブ」の博徒たちの
名誉にかけてもはっきりと言っておくが、
彼らの博打にこざかしい八百長はありえない。
一緒に働いていると、それが嫌というほどわかってくる。
だいいち、そんなことをしなくてもフランクは常に、
客の側にとって非常に魅力的な博打を
はっていけるだけの器量をもっているのだ。
フランクは綺麗な博打で勝つ人だ。
最後に雪かきの料金を決めるための大切な数字となるのが、
雪かきの際に同時に行なわれる塩の散布の回数だとデネンは言った。
僕はどちらかというと文系の人間なのでデネンの説明で初めて、
塩を除雪後に撒くことで氷になる温度が純粋な水よりも低くなり、
いったん溶けた雪が再び凍りにくくなる働きがあるのだと知ったくちである。
雪の世界における塩の大事な役割を理解するためには、
まず水の温度を下がって氷になる時、
水の分子がどのような動きをしているのかを理解する必要がある。
水の温度が下がるにつれて分子の活動は「ゆっくり」に変わる。
水の分子の動き回るパワーが小さくなると
分子たちの間に働く引力のほうが上回ってきて、
水から氷へと変化するのだ。
では、この時に水以外に食塩などの
「じゃまもの」が入っていたらどうなるのか。
氷点下零度で氷になる水分子たちが
じゃまものである「塩」のせいで
なかなか固体になれないという現象が起きるのだ。
もっと温度を下げなくては氷になることができない。
要するに、塩入りの水は氷になる融点が純粋な水よりも低くなる、
「凝固点降下」という現象を引き起こすのだ。
「雪に塩を撒くということは
『じゃまもの』を雪に入れるということでもあるんだ」
デネンはそう噛み砕いて教えてくれた。
これによっていったん
昼間のあたたかい日差しで溶けて水になった雪が、
夜間で冷えても「凍りにくく」なるである。
だから、塩を散布するのが凍結防止のために役に立つというわけだ。
ちなみに、この「じゃまもの」として有効なのは塩だけではなく、
基本的には他の物質でも構わないらしい。
たとえば、「エグゼクティブ」のように
融雪剤として塩化カルシウムを使う場合などは、
融雪剤が溶けるときに発生する「反応熱」で
雪が溶けるのをさらに促進する効果もあるのだ。
「つまり普段俺たちが『塩、塩』と呼んでいるものは、
正式には塩化カルシウムのことになるんだ。
これなら雪を溶かしてくれるうえに、
溶けた雪を今度は凍りにくくする役割も果たすのさ」
デネンは出来の悪い生徒の理解を確かめるようにそう言っていた。
雪をかいても塩を撒かなければ夜の間に気温が下がることで、
今度は凍ってしまう。どれだの頻繁に塩を撒くかは、
冷え込みが一番厳しくなる明け方の気温の下がり具合による。
よって除雪作業がおおかた終わり、すでに雪が止んでいても、
塩を撒き続ける必要がある場合が存在するのだ。
僕が実際に仕事をしていて
永遠に塩を撒き続けているような
気分になった経験がこの話でようやく説明された。
むろん塩は無料ではないので撒いた分だけ料金に加算されていく。
除雪後に凍っていたために足を滑らせて
けがをしたフランクのお姉さんのような事故を未然に防ぐには、
これ以外に有効な方法がないので、
顧客の側も塩の散布を受け入れるしかない。
ここまでのデネンの説明でフランクが用いている料金制度を
簡単に表すと以下のような計算式になるようだった。
(査定)×((積雪)+(塩をまいた数))=雪かきの実際の仕事代金
そして「仕事代金」に「保険料」という名の契約料が足されるのだ。
「さらに」とデネンの説明は続く。
「ドライバーであれシャベルであれ、
彼らは雪が降るか降らないかという一点において
博打をしているということでは大きく変わりはないんだ。
けれども、親父や兄貴は
もっと多角的に雪との勝負をはっていかなければならないんだ」
これはどういうことか。
たとえば天気予報で明日の昼から深夜にかけて
積雪十センチほどの雪が降るでしょうと言っているとする。
ここでまずフランクはどれだけの
ドライバーとシャベルを
いつの段階で仕事に呼ぶかを決めなければならない。
雪が降り始めてもいないのに、
何十人という連中を抱え、
させる仕事がないという状況を避けるためだ。
さらには誰を仕事に優先して呼ぶかといったことや、
誰をどこに配属させるかも決めなければならない。
それぞれに能力の違いだってある。
またどんな時に呼び出しても
文句を言わずにやってくるドライバーや、
他人が嫌がる時期、たとえばクリスマスなどにも
仕事に来てくれる連中には優先的に仕事を回すようにする。
また塩の購入に関しても常に決断が求められる。
もし塩を買いすぎてしまえば
冬の終わりには廃棄処分にしなければならない。
しかも冬の間であっても
塩を蓄えておくスペースには限りがあるのだ。
余分の塩を買い込んでおくにも限界がある。
塩の搬入の時期を間違え、
必要なときに塩が足りないとなるとそれこそ大変な状況になる。
トラックの燃料となるガソリンをどこの会社から買うか。
塩は何時間おきに撒くかといった勝負もある。
挙げ始めたらきりがないほどの小さな勝負を張っていくことで、
初めてフランクの雪相手の博打は成立するのだった。
(続く)
佐藤寛孝 |
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