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土曜日
1032009

可能性ってなに?

今年の秋に南品川に開店したラーメン屋さんがあるんですけど、
夜中帰宅途中にフラッと入って「美味しいなぁ~」と感動したんですね。
数回通って、やっぱりすっごく美味しいって確信したんです。
でも、いつ行ってもガラガラなんです。
有名店では行列が当たり前の昨今では、
美味しいのに空いているのはありがたいわけですが、
ちょっとさびしいみたいな複雑な気持ちでした。

別に僕がその店を「見つけた」とか言いませんけどね。
勝手に応援団としては、
行列も嫌だけどぜんぜんお客さんが入っていないのも不安になります。
僕の味覚はおかしいのかなぁーと。

その店が最近、年末のテレビ番組で
都内ラーメンランキングで「注目店」として紹介されておりました。

なんなんでしょうね。妙に嬉しいこの気持ちは。


実は最近、人の起源に関して勉強する必要があって
ここずっと人間の細胞に関する生物学の文献や
脳科学の入門者なんかを必死に読み漁っていました。

すっごいですね。人の体というのは。

誰だって、一度や二度は自分の体の自然治癒力の
静かなエネルギーを実感したことがあると思うんですけど、
専門家の研究からわかり始めたことなんかを
系統立てて勉強すると感動を再認識しますね。

たとえば、人の脳って
100年の人生を少なくとも何百億回は
繰り返せるだけのポテンシャルがあるそうです。
「限界がない」のだそうです。

人の体ってすごいんだろうなぁって思っていたことを
専門家の言葉で再確認できる経験は、
南品川のラーメン屋の親父をテレビの画面で見た時に
似た妙な喜びがありました。


思うのですがというかすごく謎なんですが、
もしからしたら人の可能性って
人には結局わからないってことなのかもしれませんね。
自分が本当はどんなことができるのかみたいなことって
本来は自分にはちっとも想像できないのかもしれないわけです。

だってね、人間の体にはある種の限界がないんですから。
人の可能性とか、限界って
勝手に決めちゃいけないものなんじゃないかって思います。

可能性ってなんなんでしょうかっていう疑問に
一つの可能性があるのではないでしょうか。

Reader Comments (7)

おもしろいね。

オーディションとか受けていると
「この人には potential がある」というコメントをよく耳にします。まあそういうことを言う人たちは 才能を見抜くための経験や感性や技術っていうのはもちろんたくさんもっているわけです。 けど私にとって"potential”のない人ってあまりいないんじゃないかなって思うんです。可能性っていうのはその人の「意欲」が関係してるんじゃないかな。どれだけそれに関わる意志があるかっていうような。それによってその人の持つ可能性の度合いっていうのが変わってくるのではないでしょうか。

1月 5, 2009 | Unregistered Commenter小山加奈子

昔、アッコ姉さんに、
「大輔の新居は温泉が出るらしいですよ。すごいっすよね」と言ったら
「日本中どこを掘っても温泉は出るのよ」と諭されたことがあります。

あくまで冗談話なんですけどね、
僕はけっこう真剣に「あーそうなんだなぁ」と感心しておりました。

たぶん、可能性ってやつも温泉みたいなものなんじゃないでしょうか?
あきらめずに掘り続けていったらきっとはどこかで湧いて出る気がします。
アッコ姉さんほどに「効能」があるかは疑問ですけどね。

自分への叱咤激励として、
そう考えるようにはしています。

1月 5, 2009 | Unregistered Commenter佐藤寛孝

ちょっとずれているかもしれませんが、
ちょっと前・・・ある人に、「さすがっすね!」っと言ったとき、
その人が言っていた一言を思い出したのでシェアします。


「能力ってのは・・・みんな持ってるんだよ。
 もし、自分のことを凄いと思ってくれるなら、
 それはたぶん・・・能力の使い方をちょっと知ってるだけだよ!」

1月 5, 2009 | Unregistered Commenter

大学で先生が言っていた言葉を思い出します。

"if you don't get it, you won't get it"

能力というのはだれにでもあるのだろうけど、
才能というか、勘のようなものは、
またその先にあるのだろうとおぼろげに思いまする。

たとえば、外国語を何カ国語も話せる、というのは
言語能力の話だけではなく、勘とか才能の世界のような気がします。

で、もちろん、だれでも才能を持っているのだけど、
その才能の種類はまちまちで、
才能と意欲がうまいぐあいにマッチしたときに、
素晴らしいものができるのではないかなぁと思います。

だから、ポテンシャルというのは、つまり、
自分の携わっている分野で、その才能が発揮できそうだ、
ということなんじゃないかなぁと思います。

ま、しかし、「好きこそものの上手なれ」という言葉も真実で、
上手いとか下手とか、そういうレベルではなく、
ただただ好きで好きで、だれがなんと言おうと、大好きで、
そればっかりの人生になってしまう、というのも
才能かもしれませんが。

1月 6, 2009 | Unregistered Commenter大輔

「可能性」って奴は温泉みたいだと書きましたが、
もしかしたら怪盗20面相みたいな奴でもありますな。

いつのまにか、
「ポテンシャル」になったり
「能力」と化けたり
「才能」と聞こえたり。


そういえば、明智探偵はたしか20面相に
「君は人殺しはしないはずだったね」みたいなことを
言ったことがありました。

その言葉で20面相は
人質の小林少年の手を離しちゃうってシーンがあったはずです。
探偵と強盗の間にも人間関係を築けちゃうっていうあたりまえが
子供の頃には衝撃的でした。

最後の最後に残るのは、
可能性という名の希望なのかもしれません。
結論がギリシャ神話っていうのは癪にさわりますが。

1月 6, 2009 | Registered Commenter佐藤寛孝

ポテンシャルってのは、つまり、
才能があるかもしれないっていう可能性のことということ?

1月 6, 2009 | Unregistered Commenter大輔

うーん自分で書いていて
よくわからなくなってきちゃったぞ。

自分の中でかなり脱線しすぎたみたいなので
最初に考え始めたところにちょっと戻ってみます。


才能があるかもしれないっていう可能性というのは、
可能性を狭義で定義している気がして、
それだったら、ポテンシャルって言い換えたほうがすっきりくるなぁと思います。

なんというか、可能性という言葉には
ポテンシャル以上のなにかを感じるのであります。

それは絵の才能とか文才といったことが
あくまでも人間の可能性の一部でしかないみたいな意味でです。

なんであれ、なにかを続けるための原動力のことを全部ひっくるめて
可能性とあえて定義してみたいなぁと僕は思っていたのだと思います。

「脳が永遠に行き続ける能力をもっている」と読んだ時に
可能性というのは継続させる原動力、
つまりエンジンなんじゃないかなって思ったわけです。
永遠に生きるっというのは、つきつめると継続させる力であって、
そこに人がいまだかつて誰も体験したことのない、
未知なる「続ける」エンジンがあるんだってことは
限界や可能性を今の自分には決められないってことなんじゃないかと思ったわけですね。

シンプルにとらえると、
可能性というのは
本来、才能とか能力を包含することがあるけれども
同時に、それらから独立しても推進し続けることもできる
スタンドアロンのエネルギーなんじゃないかと思います。

まだ「じゃないかな」という程度ですが。

1月 7, 2009 | Unregistered Commenter佐藤寛孝

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