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<!--Generated by Squarespace Site Server v5.11.81 (http://www.squarespace.com/) on Sun, 19 Feb 2012 14:38:46 GMT--><rdf:RDF xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#" xmlns:rss="http://purl.org/rss/1.0/" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/" xmlns:admin="http://webns.net/mvcb/" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/" xmlns:cc="http://web.resource.org/cc/"><rss:channel rdf:about="http://www.creative-platform.com/saturday/"><rss:title>SATURDAY</rss:title><rss:link>http://www.creative-platform.com/saturday/</rss:link><rss:description></rss:description><dc:language>ja-JP</dc:language><dc:date>2012-02-19T14:38:46Z</dc:date><admin:generatorAgent rdf:resource="http://www.squarespace.com/">Squarespace Site Server v5.11.81 (http://www.squarespace.com/)</admin:generatorAgent><rss:items><rdf:Seq><rdf:li rdf:resource="http://www.creative-platform.com/saturday/2008/3/11/saturday.html"/></rdf:Seq></rss:items></rss:channel><rss:item rdf:about="http://www.creative-platform.com/saturday/2008/3/11/saturday.html"><rss:title>SATURDAY</rss:title><rss:link>http://www.creative-platform.com/saturday/2008/3/11/saturday.html</rss:link><dc:creator>佐藤寛孝</dc:creator><dc:date>2008-03-11T01:13:57Z</dc:date><dc:subject></dc:subject><content:encoded><![CDATA[<p>私の友人がいつか、<br /> 大学で親元を離れ都内へ出て<br /> 一人暮らしをした時に、<br /> 無性に寂しくなって泣いてしまったことがあると言っていた。<br /><br />悲しみや寂しさに重さや違いがあるのかどうかはわからないけど、<br />叔母が死に身寄りを失った私が<br />施設で暮らす中で学んだことは、<br />人が本当に孤独で耐え切れない時に流すのは涙ではなく<br /> 心そのものだということだった。<br /><br />一人っ子だった私にとって、<br />周囲に自分と同じ年齢の子供たちがいるということは<br />とても不思議な居心地だった。<br /><br />例えば施設にはにわかには信じられないくらい<br />たくさんの催しものがあった。<br />クリスマス会や七夕など季節の行事はもちろんのこと、<br />音楽会やビンゴ大会、ビデオ観賞会に自炊当番、<br />あげくの果てには焼き芋の日なる<br />１０月の第二土曜日まであった。<br />映画を見るのも一緒。<br />髪を切るのだってみんな一緒だった。<br />そうやってみんなで一緒に何かをしていれば<br />子供たちは寂しさを感じない。<br />いや少なくとも、寂しさを忘れられる。<br />施設の大人たちはきっとそうんなふうに<br />信じていたのかもしれない。<br /><br />毎週のように準備された催しものやイベントは<br />大人たちに、生きる上での選択肢を奪われ続け、<br />その結果、施設に暮らすようになった私たちへの<br />かれらなりの贖罪のあらわれだったのだろうか。<br /><br />しかし、本当の孤独というのは<br />いまその瞬間に<br />自分が誰かと一緒にいられるかどうかということとは<br />あまり関係のないものだった。<br />それよりも自分を心から愛してくれている人がこの世界にはいる、<br />無条件で自分を受け入れてくれる人がいる。<br />そう、信じれるかどうかにかかっていたような気がする。<br /><br />施設で育った多くの仲間が<br />とても早い時期に恋人をみつけ<br />安易すぎるほどあっさりと肉体関係を許し合っていたのも、<br />きっと心に根をはった闇と無関係ではない気がする。<br /><br />だって、それは人として、<br />自信とか勇気をみたいなものを抱いて行きていくのに<br />ものすごく大切なことだから、<br />普通、誰もが<br />無くさないように落とさないようにと、<br />ポケットに入れて<br />片時もはなさずに握りしめていないと落ち着かないのだ。<br /><br />それは月の大きな夜だったり、<br /> 星の全く見えない夜だったりしたのだけれど、<br />施設では時々ご飯を食べている時や<br />みんなが宿題をしたり本を読んだりしている時などに、<br />突然大きな声をあげて泣き出す子や<br />叫び声の中で椅子やお皿を投げ出したりする子がいた。<br />彼らはそろって、<br />ポケットの中に大切にしまっておいたそれを<br />どんなに探しても掴むことが出来なくて<br />感情のダムが欠壊してしまっていたのだ。<br /><br />人は他人と比べる生き物で、<br />だからよく、<br />互いの不幸を秤にかけたがるけれど、<br />施設の子供たちに限っていえば<br />彼らがはかりに載せるのは<br />辛い過去の記憶でも流した涙でもなかった。<br />皿の上にはいつだって失った自信や勇気が載っていた。<br /><br />そんな時、私たちが例えどんなに煌々と月明かりの輝く下にいたとしも<br /> 失ったとものは見つかりはしないのだ。<br /> <br />そしてただ、<br />幼いからだと心で<br />残酷な現実を知るのだった。<br />自分には、<br />私を心から愛してくれる人が<br />もうどこにも存在しないのだと。<br /><br />孤独はそうやって、<br />夜の暗い世界の中でさえ影を落としている真の闇のように<br />徐々に私のこころをも侵していった。<br /><br /></p>
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