ピン・ボール
金曜日, 2月 29, 2008 at 4:36午前 頑丈だけが取り柄でリトルリーグの頃から
キャッチャー以外やったことがないような奴だった。
ベンチに落ちた程度でどうにかなるわけがない。
エースは勝手にそうふんでいた。
そしてファーストもセカンドもショートも
どうやら自分と同じように考えているようだった。
三年も毎日一緒に練習してくればそれくらいはわかる。
ただ、突っ込んだベンチに一番近い三塁手の姿だけは、
相手チームの救護班に
試しに肩をくるくる回すように言われているキャッチャーの側にあった。
ベンチの監督はここぞとばかりに伝令を出してきて、
守備に関する細かな指示を送ってくる。
本来、チームとバッテリーの頭脳であるはずの
キャッチャーが戦列にいなくても
監督が指示を出してくることに誰も違和感を抱かないのは、
チームの誰もが、
バッテリーの司令塔はエースである彼だと考えている証拠だった。
そして、そういう細かな事実で自尊心を高められるのも彼の特徴だった。
伝令が下がり、マウンドに集まっていた内野手が守備位置に戻ると
エースはまた一人になる。
長い休息は肩を冷やすだろうと
一塁手がキャッチボールの意思を目で送ってきたが、
彼はそれをあえて無視して、
腰に両手をあててマウンドの上から
キャッチャー不在のホームベースを睨み付けていた。
ここまできて肩が冷えて困るほどの力など
もとから残ってなどいないというのが本音だったが、
孤高のエースが試合を諦めずに敵をにらみつけているようで、
ナインが奮起されるかもしれないな、
などと彼は勝手に考えてもみた。
その時だった。
主審がちらりとエースのほうを見たのは。
エースにはその一瞥が
どういう意味をさしていたかを
手に取るように感じ取ることができた気がした。
彼は仕方がなく自分に向けられている期待に応えるかのように
キャッチャーがようやく起き上がろうとする
相手ベンチのほうを始めてちゃんと眺めた。
理屈など抜きにして、少しは仲間を想って
心配そうな“素振り”をしなければならないのが高校野球であり、
つまりは甲子園なのだった。
なんど叩き込まれても、
馴染むことのできなかった価値観が
こんな状況でも小さな行為のなかにしっかりと根付いていて、
彼は肉体の疲れ以上にうんざりさせられるようだった。
どんなに点差が開いた試合でも、
最後の最後まで必死に走り、
フルスイングしなければならない。
届くわけがない白球に向かってダイビングキャッチすることが美徳される、
摩訶不思議な世界こそが高校野球そのものだった。
大人のエゴ。
現実社会がとっくの昔に置き去りにした非合理的な価値観。
その具現化が高野連という
全国の風紀委員のためのロールモデルのような組織を生み、
「偉大な伝統」を育んできたのだ。
そして、エースのような
わがままで伝統など耳の垢程度にしか考えていない球児が、
この高校野球という実体のない強大なエゴの塊に
押し潰されずにここまでこれたのは、
なによりも彼の所属するチームが、
県予選三回戦が過去最高成績というような弱小チームだったからであり、
ブランド志向、名門校志向の高いエースには
この辺からして大いなる矛盾が存在した。
少なくとも、同学年に四五十人の野球部員がいて、
ピッチャーだけでも二十人近くに上る名門校では
彼のような部員はもっとも初期の段階で淘汰されていただろう。
エースは自分で考える。
なぜならまず、彼は走るのが嫌いなピッチャーだからだと。
甲子園にやってくるようなピッチャーで
走り込みが嫌いだなどと子供じみた駄々をこねているのは
きっと彼くらいだっただろう。
なによりもまずピッチャーの練習とは、走ることだ。
彼らが投げることで試合が始まり進んでいく彼らは
他のポジションとはことなり、
投げ込みできる量に限界がある。
投げすぎれば肩を壊すわけで、
投げていない時のピッチャーというのは、
安定した投球のための下半身強化、体力強化のために、
ひたすら走りこむ。
以前、巨人の大エースだった頃の桑田真澄が怪我をして
戦列を離れた時期、
彼が二軍練習用の多摩川グラウンドをただもくもくと走り続け、
やがて彼の走った跡が
外野の芝生に残って「桑田ロード」と呼ばれるといった逸話が生まれたことがあった。
ピッチャーと走りこみはそういう関係にある。
人一倍頭の回転の速いエースである、
もちろんそんなことは百も承知だった。
それでも、彼は走りこみをできるだけ避けていた。
「ピッチャーは先ずナルシストでなければならない」と、
今は人気野球解説者として活躍する
元甲子園の大ヒーローが
どこかの雑誌のインタビューで語っていた言葉に
彼は中学生時代にいたく共感した覚えがある。
少なくとも彼はそういう種類のピッチャーだったのだ。
ただし、同じナルシストといっても、相手は「昭和の怪物」。
こちらはまさかの初出場、ベストエイト。
プロのスカウトに注目されるのはその投球ではなくて、
高校生離れした落ち着きで受け答えするインタビュー術ぐらいだった。
それとて、自分の話す言葉を
真剣な顔で書き取っていく記者に囲まれていたら、
ついつい調子に乗って
余計なことを言い過ぎたといった程度のことだった。
そして、その昭和の怪物も、
走り込みが大嫌いな投手として有名だったのだ。
つまりこの場合、エースにしてみれば、
走り込みをしなくても偉大なピッチャーは偉大なのだ、
という走り込みをサボる都合のいい言い訳になる結果を生んでいた。
なんといっても彼には強烈な持論があった。
それは、高校野球レベルでならば、
多少の頭脳とコントロールの良ささえあれば
酷く打ち込まれるというようなことはまずないというものだ。
「それも、ここまでかな」
今日の試合、体力、気力を振り絞って投げている相手は、
彼の考える高校生のレベルを優に超えていた。
その事実を前にして、
しかし、思った以上に彼は悔しさを感じはしなかった。
少なくとも、今、彼に襲い掛かろうとしている連中は
紛れもない「本物」だった。
県予選の決勝で投げ勝った時に抱いたあっけなさや、
多少の勘違いを、
本物の相手は軽く打ち壊してくれた。
「まがい物」とは違う強さとしつこさを持ったチームだった。
そして、そんなライバルの代表のような選手が四番バッターであり、
エースは今、彼との四度目の体制の真っ只中にいるのだ。
エースがこれまで対戦したどんなすばらしいスラッガーでも、
前の打席で投げた決め球に、
次席にはきっちりとタイミングを合わせてくるような
そんなバッターはいなかった。
そしてここまでの三打席で、
エースは彼の持つ球種、
決め球を使い果たしていた。
「負けるだろうな」
本音だっただろう。
しかし、そう呟いてみて、
すぐに思い直すように、
彼はひとつ首を振っていた。
甲子園に現れる、若さに伴う挫折の波が
乾燥したグランドに蜃気楼のように現れては消えていく。
球場にいた誰もがちょうどベンチから
元気に出てきたキャッチャーを眺めていてくれたおかげで、
見られずに済んだ、
それは切ないワンシーンだった。
若い心が、思いが、
ピン・ボールのように揺れている。
(続く)
佐藤寛孝 |
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