金曜日
2292008

第六章「賭場を仕切る大親分」

「さぁ、どうだったかな……わかったら俺にも教えてくれよ」

電話の向こうからかえってくるのは、
なんともはっきりとしない答えばかりだった。
某雪かき会社の経営者は
「そりゃきっと業界の流れだったんじゃねーの」と
明らかに面倒臭そうに答えることで、
電話を切ろうとしているのがわかった。

僕は分厚い電話帳を片手に、
ニューヨークでの雪かきビジネスの歴史を理解するため
手当たり次第に雪かき会社へ電話をかけていた。

しかし、どこに尋ねて誰に訊いても、
これといった明確な答えが得られない。
というのも、誰もそんなことなど
大して気になんかしてこなかったのだ。

「雪かきを一冬のシーズン契約にして
顧客をとるというやり方は、
ビル掃除時代の経験を取り入れた
フランクのアイデアだと思うぞ」

そう教えてくれたのは誰でもなく、
「エグゼクティブ」の若頭ことブラッドだった。

灯台下暗しとは言ったものだ。
まさかフランク自身が
博打のアイデアまで考案していたとは知らなかった。
正直不覚だった。

それもこれもフランクに直接訊かなかった僕が悪いのだが、
「エグゼクティブ」の連中も教えてくれてもいいだろうにと、
僕が少しすねてみせると、
そんなことに興味があるとは変わった奴だな
という顔をしながらブラッドが大体の話を教えてくれた。

きっとブラッドや他の連中にしてみれば、
明日の夜に雪が降るかどうかは気になっても、
大昔の商売誕生にまつわる話などに
興味を持つ僕のほうが変わって見えたのだろう。

フランクが雪かきを一冬のシーズン契約にして
顧客を取り始めるまで、
雪かきはビジネスとして冬の間だけの
副業という域を出ることはなかった。
多くの雪かき屋が個人所有のトラックに
除雪シャベルをとりつけて
商店などの駐車場や隣接する歩道を細々と掃除して回っては
駄賃を受けていただけだったのだ。

もちろん現在のニューヨークで、
雪かき業は立派な商売として成立しているわけだが、
ではこの手の商売の上手いコツを
誰が最初に考えたのかという議論になると、
誰にでも納得できる形で答えを証明するのは
非常に難しいのが現実だった。
ブラッドでさえ、絶対とは言えないと念をおしていたのだ。

それでも、少なくともフランクには
当初雪かきという「賭場」の安定をはかるという意味において
まねをするような存在がいなかったのは事実のようだ。

それもそのはずフランクの考えた
シーズン契約というアイデアには
それまでの雪かき商売にはなかった深い構想が隠されていたのだ。
適当にやっていたらこうなったという類のものではない。

しかしそのアイデアをもとに、
彼が雪相手の博打という商売に
可能性を見出すことになった経緯になると、
それは単なる偶然から生まれたものでもあったから興味深い。

それはキャリーが生まれる前のある冬のことだった。
当時妊娠中だったフランクの姉が、
雪から氷へと変わった歩道を歩いていて、
滑ってけがをしたことがあったのだ。
歩道はちょうど有名銀行の支店に隣接していた。
運良く姉のけが自体は大事に至らないで済んだのだが、
この時、姉を病院へと向かいにいくバスの車内、
フランクはまったく別のことを考えていたという。

「もし姉貴が大きなけがをして
お腹の子供を流産させるなんてことにでもなっていたら、
今は笑って話しているドジな失敗談が
面倒な裁判沙汰になっていたかもしれない」

フランクには雪で滑って誰かを訴えるといった冗談のような事件が、
やがて現実に起きるようになるのは
時間の問題じゃないかと真剣に思えたのだ。
法の不整備が火薬庫になって、
大きな社会問題へと発展するかもしれない。

もともと、歩道の状況が関係した場合の事故やけがの
賠償責任を明確に定めた法律は当時も存在したことはしたのだが、
雪が積もった場合の処置にまでは言及されてはいなかった。
さらにその点に明確に触れた過去の判例も
ニューヨーク市に限ればまったく存在していなかったのだ。

それでも一度このような裁判が起きれば、
その後に似た様な事件が続くことは目に見えている。
訴訟大国のアメリカでは、
柳の下で見つける二匹目のどじょうのことを
「判例」という名の化け物と呼んで、
こちらのほうが社会的な脅威となりうるのだ。

そうなれば、誰も彼も雪が降るたびに
シャベルをもって今まで以上に真剣に
雪をかいて回らなければならなくなる。
アメリカに住んでいて、
法廷で賠償責任を争うことが
どれだけ大きな負担になるかを知らない人はいないからだ。

同時にフランクは考えた。
じゃあ、現実的に自分で
雪をかくことができない人々はどうなるだろうか。
老人だけの家だってある。
雪をかいていられないほど仕事で忙しい人はどうするのだ。
商店や企業はそんなことに従業員を用いるだろうか。
そもそも組合の力が異常に強大なニューヨークの雇用社会で、
たとえば自動車修理工や看護士が会社の周りの雪をかくだろうか。

この時フランクは、博徒としての内なる声を聞いたのかもしれない。

「誰も想像もしないような時代がやってくる。
その時に誰も今だかつてやったことがない仕方で商売ができたなら、
それは人生を掛けた勝負にすら値するのではないか」

そもそも大学を中退して
ビル掃除の仕事で独立を計ろうと考えていたフランクが、
畑違いの商売に大きな構想を掴み、
それに執着してしまうには、
それなりに突拍子もない閃きのようなものが必要であったはずである。

そしてフランクはその閃きに固執することになった。
彼が内なる博徒の声を聞いたとしてもおかしくはないと思えるのは、
その後四半世紀の彼の進む道が
たったこれだけの思いつきによって決まってしまったからだ。
ある意味、気持ちがよいくらい
明確で強烈なターニングポントだった。

しかしここで、現在から過去を眺めている僕なんかからしてみれば、
フランクの中でそこまで未来に対する鮮明な想像が広がっていながら
どうして彼自身が姉を担いで裁判を起こし
奪えるだけの慰謝料をとらなかったのだろうかと疑問に思えなくもない。

アメリカの法学部の生徒が
試験前には必ず覚える判例の一つに登場するような
そんな選択肢だって彼は選べたはずである。
僕の疑問は幾分やくざのいいがかりのように聞こえなくもないが、
少なくとも大手銀行を相手に
一世一代の裁判を起こすことだって
考えようによっては立派な博打ではなかったのだろうか。

残念ながら、フランクはこの質問について
あまり多くを答えてはくれなかった。
だが、彼だって少なくとも迷ったはずである。
というのもフランクの妻との話の中で、
当時の彼が数人の弁護士に会って
裁判に関する勝算を尋ねて回っていたと聞いたからだ。

弁護士からの返答はあまり芳しい物ではなかったのだろうか。
どちらにしてもフランクは訴訟という道を選ばなかった。
人生なんていうのは、
たいそうな理屈や思想を並べてみたところで、
結局は何を選んで何を選ばないかということで決まっていく。

そしてもしかしたらそのへんに、以前彼が僕に述べていた、
「雪の白さは時に俺たちの汚れきった一面だって映しだすんだ」
という言葉の真意があるのかもしれない。
つまり、彼が打ちたかった、そして今でも打ち続けている博打とは
たった一度きりの裁判のような、
ある意味で醜くちっぽけな博打では
なかっただけのことなのかもしれないということだ。
雪に滑って訴訟を起こすことは、
フランクにとって雪の白さに己の汚れた一面を
ありありと映しだすことに他ならなかったのではないか。

考えてもみれば、
雪かき会社として顧客と契約をかわすということは、
損害賠償を狙う訴訟相手の矛先を
顧客から自分の側に向けさせかねない
そんな危険を一手に引き受けるという、
いわば訴える側から訴えられる危険を帯びた側へと
立場を百八十度変えて立つことになるのだ。
そこに、大きく言えば
男のロマンのようなものはなかったのだろうか。
フランクという現実主義者の中に、
もしロマンで博打を打つ一面を覗けるとしたら、
それはかなりの皮肉でもあるが、
僕にはその想像が酔狂以上のものに思えてならない。

フランクが一年目の勝負が散々な結果に終わった後に、
それでも雪相手の博打に大きな可能性を信じ、
諦めないで踏ん張ることができたのも、
もとをただせば内なる博徒の声を信じた
彼なりのロマンだったのではないだろうか。
その声にしたがって考え出したシーズン契約というコンセプトが、
いずれ顧客が雪かきを義務付けられるようになる
世知辛い時世が到来した時に、
絶対的なサービスと安心を保証することになるのだと信じたのだ。

それまでの、雪が降ってから個々の除雪車に乗った連中が
商店や企業に出向いて雪かき必要がないかと尋ねて回る仕方では、
安定したサービスなど到底約束できるはずがなかった。
だからこそ、新しいサービスの真のメリットに
いずれ客自身が気づいてくれる時代が必ずやって来る。
そしてその時になって真っ先に勝負に打って出るためには、
冬の間はどんなに経済的にきつかろうが
副業として雪かきのトラックに乗るわけにはいかなかった。
周りからどんなにバカにされようとも、
自分が信じたアイデアとその未来を客に見せて回る必要があったのだ。

つらい時期をフランクはそう考えて乗り切ったのかもしれない。
やがて来ると信じた大勝負の時のために。

厳しい勝負の冬が数年続き、
フランクが経済的に真に困窮し始めるようになってから
さらに数年が経った後のある冬、
けがをした姉を迎えに行くバスの中で
彼が予想したとおりの事件が起こる。
ブルックリン地区で雪の残った歩道を歩いていて足を滑らせ、
けがをした女性がニューヨーク市を相手に訴訟を起こし、
しかもあっさりと勝訴してしまったのだ。

新聞の地方欄で事件を知った時、
フランクは震える体を抑えることができなった。

この事件に最初に慌てたのはニューヨーク市だった。
同市はすぐに家や企業の敷地に隣接する歩道の除雪を
隣接する土地の所有者に義務付ける法律を明確に制定しなおした。
これでこの先も問われるであろう賠償責任を
可能な限り放棄しようとしたのだ。
訴訟大国アメリカの恐ろしい一面と向き合う義務を、
行政は市民の側へと移行させた。

新しい法律によって雪が止んでから四時間以内に
歩道の除雪作業が行われない場合、
家主やビルの所有者は市からの罰金が科せられることになった。
そしてさらには、けがをした歩行者からは
損害賠償を求められる危険性も抱くようになったのだった。
一連の司法の流れが一般家庭に与えた影響もさることながら、
商店や企業の間に一種の混乱すら生んだ。
特に多くの店舗を抱えてチェーン店展開する大型商店などは
特に訴訟の対象にされやすく、
また訴訟はそれ自体企業イメージにマイナスにひびく影響があるため
神経を尖らせるようになった。
これはまさにフランクが想像したとおりの結果だった。

ここにきて初めて、フランクの敷いた
「シーズン契約で安定した除雪サービス」
というアイデアが顧客たちの間で評判になり、
「エグゼクティブ」は業績という名の賭場を
飛躍的に伸ばすことになっていったのだ。


(つづく)