わたしがきみであなたはしろみ
火曜日, 8月 21, 2007 at 2:14午前 これは、某民放系ネットワークの地方放送局の
人気情報番組「今日もいい気分」の
担当アシスタントディレクターが、
当時県内で密かな話題を呼んでいたカリスマ女将、
佐伯南氏(さえきみなみ)が
中部地方の某NGO主催で開かれた講演会で行った
「幸せな玉子料理」という話を取材した際の、
取材ノートから抜粋した講演を
佐伯氏の了承を得て公開するものです。
「どうも皆さん。ただいまご紹介に預かりました、
森水庵の佐伯南でございます。
本日は、どうぞよろしくお願いいたします。
えぇ、今日は、『幸せな玉子料理』という主題でですね、
少しの時間、
お付き合い気願いたいと思いまして、
こうやってですね、原稿っていうものを持参いたしまして、
昨日も遅くまで、なれないパソコンに向かって
書いてまいりました。
(会場から小さな笑いが起こる。以後、同様の反応は(笑)と表記)
ところで皆さんはパソコンなんかを
普段から用いられたりしますか?
あら、こんなにいっぱいの方がですかぁ。
さすが、今日は若い女性が多いって
伺っていただけはありますねぇ。
お恥ずかしい話ですけど、
私は今だにだめなんですね。
私共の旅館の方でも、
若い社長さんに代わられてからは
インターネットというんですか、
それを通じての宣伝とかに力を入れたり
ご予約なんかも承っておりますから、
本来はね私ももう少しは
使いこなせなくちゃいけないんですけどね。
普段から仕事でパソコンなんかを使うようにしていれば
今回みたいな時に、
こんなに苦労はしなくてすむんですけどね。
どうしてもみなさんような若い子達が
「女将さん、代わりにやりましょうか?」って、
私が三十分はかかる作業なんかを
ものの三十秒足らずで済ませちゃうもんですからね。
えぇ。(笑)
ところで、
ブラインドタッチって言うらしいんですね。
あの、例の、自分の手元を見ないでも
正確にタイプしていけることを。
こんなことを言うと、
厚化粧の下の実年齢がばれてしまいそうで
大きな声では言いたくないんですけど、
やっぱりだめですねぇ。
私のように戦後の混乱期に幼少期を過ごした世代は
どうも横文字に弱いくせに憧れだけは人一倍強くて。(笑)
私なんかも、こんなおばさんなんですけどね、
やっぱりその「ブラインドタッチ」って言葉には
「カッコいいなぁ」なんて憧れちゃうんです。(笑)
ちなみにですね。
今回、私のような、
田舎の温泉街の古びた旅館の女将をですね、
こんな、大勢の女性の、
しかも若くて意欲があって
溢れんばかりの可能性の塊のような皆さんたちの前に
引っ張り出してきて、
一つ赤っ恥をかかせようなんていう
意地悪な魂胆の持ち主のね、
「頑張れ日本の女性の会」の理事の
峰岸涼香さんなんかはね、
同じ昭和二十年代生まれとは思えない
流れるような指使いで
パソコンを扱われるんです。
(笑)
もうその一点だけでもね、
私なんかは峰岸さんへの強い憧れがあるもんですから
彼女から頼まれてしまうと
どうしても断れないものですから、
今、こうやって皆さんの前で
お話をする羽目になっているしだいなんです。
えぇ。(笑)
まぁそんなわけですから、
聡明な現代女性に向かってですね、
どんな話をしたらいいんですかって、
私も少々憤慨気味に
理事さんに伺ったんですね。
そしたら、
「ほら、あの、あなたの就職活動についてなんかいいんじゃない」って
仰られたもんですからね、
私のほうも「じゃぁそうします」という二つ返事をしまして、
今日はそんあな話をですね
することになりました。(笑)
これは私がですね、
丁度今の皆さんくらいの年齢の頃の話ですから、
考えてみたら、もうずいぶんと昔の事になります。
どうして、私が温泉旅館の女将なんかになったかなんて話です。
でも、もしかしたら、今の皆さんには
今一ピンとこない話になってしまうかもしれません。
でもまぁ、よかったら軽い気持ちで聞いてみてください。
私、もともとの生まれは名古屋だったんですが、
当時は東京の方で一人暮らしをしながら
大学に通っておりました。
私の両親という人は
私たち兄妹が幼い頃から共働きをしておりまして、
ちなみに、父は建築家、母は女医という家庭でした。
二人ともとても子供たちの教育には熱心で、
特に母の方は、
娘の私に対して幼い頃から
「大学は必ず出なさい。しかも資格を得るように」
って教えるような人でした。
私もけっこう素直子だったもので、
母の言いつけどおり、
東京の大学では会計学を専攻しましたし、
卒業後はどこかの会計事務所で経験を積んで
いつかは独立するというのが、
妙に現実的な学生だった
私の人生設計になっておりました。
ところで、今朝、こちらの大学のキャンパスを
歩いていて感じたのですが、
女子生徒さんがとっても多いんですね。
こんなことを言っていたら笑われてしまうんでしょうけどね、
本当にビックリしました。
というのも、私が学生の頃はまだ、
四年生の大学における女子の割合というのは
絶対的少数派の時代でしたし、
しかも会計専攻なんてなると
ほとんどスカートなんかは皆無でしたから。
それですからね、
私の娘や孫たちなんかにこの話をしますとね、
「おばあちゃん男子に囲まれてずいぶんもてたでしょう?」なんてね
聞いたきたりするんです。
孫の手前、「ええそうよぉ」なんて言いたいところなんですけどね
これが意外とそういうわけでもなかったんです。(笑)
まぁ、私の容姿に起因するところも
多少なりと大きかったのかもしれませんが、
それ以上にね、逆に女子が少なすぎて、
どうも皆さん遠慮されてしまうらしいんですね。
これはその、後々の人生経験も踏まえての意見ですが、
古い日本の男性というのは、
周囲の目があったりすると
欲しいものであっても
みんなでもう譲り合っちゃうんですね。(笑)
おかげで、こっちはせっかく親元を離れて
楽しい一人暮らしをしながら、
恋の一つでもしたいなぁなんて思っているのに
ぜんぜんもてないわけです。
(笑)
でもまぁ、その辺は
私も当時は女の子でしたから、
友人たちと集まっては、
「経済学部のなになに君は素敵よね」とか、
「いやいや教育のだれそれの方が魅力的だわぁ」なんてね、
そんな話で盛り上がっていたわけです。
もちろん、もてないながらも、
ちゃっかり好きな人なんかを見つけてもいるわけなんですね。
私が恋をしていた相手というのは、
当時、私の大学の近くの事務機の中卸会社で
アルバイトをしていた他校の学生の方だったんです。
私は学生時代、一時期ですが、
新劇に熱をあげていた時期がありました。
まぁいわゆる追っかけですよね。
お気に入りの劇団の公演なんかは
連日見に行っていたわけです。
学校の授業なんかほったらかしで。(笑)
ですから、仕舞いにはあまりにも頻繁に顔を見せるもので
劇団員の方にも顔を覚えてもらっちゃって、
地方公演なんかでどうしても人手が足りないときなんかは
無料アルバイトで応援に呼ばれたりなんかしていたんですね。
それはそれで、
とっても楽しい経験だったんですが、
そうなるとどうしても肝心の学業の方が疎かになってしまいます。
それでも、出席確認の方は気のいい友人たちがね、
適当にごまかしていてくれるのですが、
問題は、欠席した授業のノートを
友達から借りてきて写す作業だったんです。
なんたって結構な量なんです。
しかも、そういう面倒な作業をすぐになんかはやらないたちなもので
期末試験の直前になって大慌てでノートを借りてくるわけです。
貸してくれる友人だって自分の勉強をしなきゃいけませんから
そうそう長いことは借りてもいられない。
当時は今のように、コピー機なんて便利なものが
近所のコンビ二なんかにはありませんでしたから、
毎回、試験間際になると泣きながら徹夜でノートを写すわけです。
おかげで、試験の結果も芳しくないのも当然ですよね。
で、ある時ですね、
私のこの体たらくぶりを見て、
余りに同情してくれた友人がですね、
大学近くの事務機屋さんで
実演用においてあるコピー機を使って、
忘れもしません、
あれはキャノンの国産第一号コピー機だったんですけどね、
こっそりとノートのコピーをとってくれるらしいって
教えてくれたわけなんです。
試験前で、藁でも袖の下でもつかみたい気分だった私は
そんな便利なお店があるのであればと、
さっそく山のようなノートを抱えて
教えてもらった中卸屋さんに出向いたわけなんです。
そして、私が片思いした彼というのがですね、
バイト先のコピー機をこっそり使って
私のような不真面目な学生を相手に
まぁいったら、今でいうベンチャービジネスってやつをしていた
学生アルバイト君だったんです。
とはいってもお店のコピー機を勝手に使っているわけですから
立派な横領行為です。
どうしても私がコピーを依頼にかこつけて
彼に会いに行けるのも
他の社員の方々がお帰りになった
夜遅くに限られたわけです。(笑)
そりゃぁドキドキしましたよ。
田舎から出てきた真面目な小娘にとっては
そうとうな勇気がいる行為だったはずなんですけどね、
自分でノートを写すことを考えると
どうしてもその悪い誘惑にかてずに、えぇ。(笑)
しかも、そのバイト君がとってもハンサムで優しい方だったものですから。
私が大好きだった劇団の看板役者さんなんかよりも
ぜんぜん素敵なんですね。
「男というのは、ちょっと影をもっているくらいのほうが
素敵に映るもんなんだわぁ」なんてね、
文学部の学生みたいなことを思いながら
コピー機の彼に会いに行っていたわけです。
でもね、結局、そのアルバイトの男性に憧れるようになってからは
少しずつ私の中の「劇団熱」も収まってしまいまして。
そしたらおのずと授業にもちゃんと出席するようになって
そうなると、わざわざクラスメートに頭を下げて
ノートを借りてきてコピーを依頼する必要も無くなってしまったんですね。
でも、片思いの彼にはどうしても会いたいから
友人たちの間を尋ねまわっては
ノートのコピーが必要な子を見つけては
半ば強引にコピーをとってきてあげるってことをし始めたりして。
まぁ、別にコピーをとる必要が無くたって
彼に会いたいなら
ただ素直に会いに行けはよかったんですけどね。
私も今と違ってだいぶ恋には奥手でしたから、
遠回りでも、面倒でも、
律儀にコピーの用事を作ってじゃないと
彼に会いには行けなかったんですね。
それでも、そんなにちょくちょくコピーが必要な友人が
見つかるものでもないのでね、
彼が働いている会社の前を素通りするだけの日々が
続いたりもするわけですね。
そうすると、それはとっても辛い毎日なんですけどね、
私としてはどうしようもない。
そんなこんなの片思いが一年以上も続きまして、
そろそろ卒業後の事を考え始める時期になってしまったんです。
名古屋の両親からは、
毎日にように激励の電話がかかってき始めまして。
成績が中の上くらいの娘としても、
親の期待を受けて就職活動に本腰を入れ始めなければと
いうことになったわけです。
昔も今も、
就職活動を始める学生がまず最初にすることといえば
履歴書の作成ですよね。
私もね、コクヨの一律のやつをですね
大学の就職課でもらってきて、
一生懸命書き込みました。
皆さんもきっと、経験があると思いますけど。
この履歴書の作成というのは、
なんともいえない緊張感があるものなんですよね。
自分の人生に対する緊張感とでもいうのでしょうか。
もしかしたら、この一枚で
自分の人生が決まってしまうかもしれないなんてね、
ちょっと大げさですけどね考えたりもしてね。
なんせ当時はまだまだ終身雇用の束縛に
学生たちの意識ががんじがらめになっていましたから。
で、下書きの末にようやく清書した履歴書の中で
きれいな奴だけを選びましてね、
正面右上に顔写真をはっていくんです。
この証明写真もね、
撮影の前の日には自分へ発破をかけるつもりで
奮発して美容院に行って
髪を整えてもらっていたんです。
ところが当日の朝起きてみたら、
どんな寝相で寝たのかわからないんですけど
酷く首を寝違えていてカメラに向かって
まっすぐに向くと激痛が走るわけです。
おかげで、わざわざ写真屋さんで撮っていただいたのに
いたく不機嫌そうな表情で、
面接官を睨みつけるような顔をして出来上がってるわけです。
しぶしぶこの写真を履歴書に貼って、
希望の会社の人事部宛に郵送したり、
直接持っていたりしました。
それもね、写真の焼き回しだって無料じゃないですから、
貴重な写真を貼った履歴書を持ち込む相手は
どうしても第一希望の大手会計事務所なんかに
しぼらてしまうわけなんです。
そうなると、滑り止めで履歴書を送る相手なんかが
問題になってくるんですけどね、
そういう場合普通、写真なしで持っていくんですね。
本当の話ですよ。
当時はそれでもちっとも怒られなかったんです。
ただ、私の場合は、
憧れの人がコピー屋さんですから、
写真の出来の悪さを忘れて
写真付履歴書をコピーしてもらって
それを就職希望先に送ることにしたんですね。
白黒の写真付の履歴書です。(笑)
そういうわけで、
大好きな彼に正々堂々と会えることにドキドキしながら
彼のバイト先を例のごとく夜に伺ったら、
彼が一人で自分の履歴書をコピーにかけているんところだったんですね。
私は自分の履歴書を片手に呆然としてしまいましてね。えぇ。(笑)
その後、二人で大笑いしましたけど。
ひょんなことで、大好きな彼と履歴書を見せあいっこすることになりまして
「・・・何この写真~ちょう怪しい~あはは」って写真をみるふりしながら
しっかり相手の誕生日とか趣味なんかをチェックしたりしているんですね。
しかも、心臓が破裂しそうなくらいドキドキしながらです。
だって、そのあいだにも、彼に、
首を寝違えている写真を見られているわけです。
「えええやだよーっ」って必死で写真を隠す私の手を
彼が半ば強引に払ったりしたら、
「あっ彼に手をにぎられた」って。
まぁ正確にはにぎられたのは手首の方なんですけどね、
さらにドキドキして。
そのわりには普通の写真だから拍子ぬけしたのか
「・・・ふ~ん。なんか普段とは違うね。あ、俺より一個齢上なんだ」と、
なんだか平凡なリアクションとともに履歴書は突き返されたんですね。
なんか、その態度にすごくショックを受けてしまいまして。
当然といえば当然なんですけど、
「あぁ、この人は、私が抱いたみたいなドキドキを
感じてはいないんだなぁ」ってね。
それだけの事なんですけどね、
それはそれで私の人生には大きな衝撃がありました。
ここで、ちょっと話が変わるんですが、
私は先ほどもお話しした通り、、
現在、静岡で温泉旅館の女将をしております。
小さな宿ですから、
大した立派なサービスがあるわけではないんですけどね、
私が大学卒業直前に、
初めてこの旅館に客として泊まって以来、
心からほれ込んでいるといいますか、
人様にもこれだけは自慢できると思えるものが
一つだけあるんですね。
それは、私どもの宿の地下から湧いてくる
温泉を使ってつくる温泉玉子なんです。
皆さんは、今、もしかしたら
なんだ温泉玉子かって思われたかもしれません。
私もね、実際に食べてみるまでは
大したもんではないと思っていたんです。
ではちょっとお伺いしますけど、
皆さんのなかで温泉玉子ができる
構造っていうのを
知っておられる方がおられますか?
中には、
玉子をただかごかなんかに入れて
温泉の中に入れておいたら
温泉玉子になるんじゃないんですかって、
勘違いされている方も
結構多くおられるんですけどね。
これはですね、そう簡単なもんでもないんです。
といいますのもね、
玉子の黄身と白身というのは
それぞれ固まる温度が違うものなんですね。
黄身は60度、白身は70度で茹でると
凝固していくんです。
ですから、温泉玉子独特の、
黄身も白身も半熟の状態にするには
二つの異なる凝固点の間で
玉子を茹でる必要があるんです。
ただ、問題は、
もともと地下からわいて出る温泉というのは
機械で温度をコントロールしたものとは違って
一日の間でも温度が微妙に変動しているものなんですね。
ですから、おいしい温泉玉子を作るには
湧いて出るお湯の温度を常に把握して
玉子を入れる場所や時間を微妙に変える
必要があるんです。
これは結構手間と時間がかかる作業なんです。
でも、だからといって、
人間の手で完全に温泉の温度をコントロールして
その中で玉子をゆでたら、
それはやはり温泉玉子ではなくなってしまうと
私なんかは思うんです。
味の均一化は容易になるでしょうけど、
面白みといいますか、
温泉玉子独特のワクワク感みたいなものは
失われてしまうと思うんです。
私どもは、
そんなゆで卵を「温泉玉子」とは呼べない気がするんです。
なんといいますか、
人の心にも時として温度差があったりすると思います。
自分の感動や興奮といった喜怒哀楽を
自分が本当に大切だと思う人にも感じてもらいたい、
どうか伝わって欲しい。
そんな風に考えるのは、
心をもった私たちになら当然の事だと思うんですね。
でもね。
いつだって、
自分の思うとおりに
誰かの心が動くわけじゃないって
私たちは知っているじゃないですか。
どんなに好きな人でも、
どんなに愛しい人でも、
どんなに大切な人でも、
相手の気持ちはもう少し、
熱いお湯じゃないと固まらないってことがあるから、
人生ってどうしようもなくワクワクして
楽しいものにももなるんじゃないでしょうか?
私は、そんなことを、
小さな温泉旅館の女将になって以来
毎日、感じているんです。
これが、私が、温泉旅館の女将になった理由です。
ですから、どうぞ、
皆さんの中で、
想いが伝わらないせつなさや届かない寂しさに
心が立ち止まってしまった際には、
私どもの旅館にお越しになってください。
溢れるほど湧いて出る温泉以外には大して何もありはしませんが、
心をこめて作った温泉玉子の味を
どうぞ味わってみてください。
少しは、ワクワクできるかもしれませんから。
そんなお話でした。
本日はどうもありがとうございました。
佐藤寛孝 |
3 Comments | 
Reader Comments (3)
うーむ、こう来るとは。しかし、なんだか報われない結末を暗示しているようで、切ないな~
ごめんね。つい。
いえいえ、それもありですが。
さてこれからどうなることやら。暖かく見守ってやってください。