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金曜日
0442008

真っ赤な郵便ポストを探せ!

私はね、マスター、
最近こんなふうに思うわけ。

経験って、自分が本当に手に入れたいと願っていたものを
手に入れられなかった時に手にするものなんだなぁって。

マスター、私はもうつくづくそう思うわけ。
ねぇマスター。聞いてる?

何で突然こんな話をするかっていうとね、
私こないだ久々に夢を見たの。

夢を見たぐらいでって思われちゃうかもしれないけど、
私、夜の仕事を始めてからとんと夢なんか見なくなっちゃったの。
お店閉めて、もろもろの片づけをして
マンションに帰れるのが朝の四時か五時でしょ。
こうやって時々マスターの顔を見て
話を聞いてもらってからなんてなると
家の近くで登校途中の小学生の集団に遭遇するわ。

だからね、夢を見なくなったことに関してもどこかで思ってたのね。
あぁ、夢って夜の暗い世界で見るもんなんだなぁ~って。

ところが、先日見た夢はちゃんとお昼にやってきちゃったのよ。
それもあってちょっと驚いちゃって。
夢の中でも、目覚めてからもね。

その夢がどういう始まりかたで、
どういう終わりかたをしたかはおぼろげなんだけど。
夢の中でね、
私が郵便受けに郵便を取りに行くのね。
フンフンフンって鼻歌まじりで。
きっとなにかいいことがあったのね。

そしたら、赤くて小さな郵便受けがあって
そのの中には私がこれまでに書いた手紙が全部
出したはずの相手に届かないで戻ってきてしまって
今にも溢れんばかりってことになっているのよ。
小学校の頃に書いて、
結局出せずじまいだったラブレターとかまで
どういうわけかもどってきちゃってるのよ。
出してないのに。

私のこころがね、そこで止まる音がするのね。
そのせつない音がアラームになって私は目を覚ましたの。
太陽がカーテンとカーテンの隙間から私を狙っていたわ。

ねぇマスター。

あの戻ってきてしまった手紙たちって
私の夢の残骸だった気がしてしかたがないのよね。
叶わなかった夢とか希望とか
報われなかった努力とか涙とか。
それが私の心の郵便受けにいっぱいになってるのね。

「世間じゃそれを経験って呼ぶ・・・ですか?お客さん?」

クラブのママ風情がちょっと感傷的になりすぎかしら?

「お客さん。こんな話をしってますか?
お客さんのお話をうかがっていたら、
懐かしい、夜の街に伝わる伝説の話を思い出してしまいました。
そいつが本当かどうかは誰も知りません。
所詮、夜にはえるネオンの灯に魅せられて集まる連中にとっては
真実かどうかなんていうことは大した意味も持ちはしませんからね。

聞いた話じゃ、この街のどこかには、
古臭い寸胴形の真っ赤な郵便ポストが
いまだにたった一つだけ存在しているらしいのです。
そのポストには、誰が彫ったのか、
「シャー専用」と刻まれているらしいんですね。
えぇ、あの伝説の赤い彗星、シャアです。

でね、なんでも噂じゃぁ、ある勇気のある男が
試しにそのシャア専用ポストに手紙を投函したそうなんです。
まったく怖いもの知らずの奴がいたもんですよ。シャー専用ですよ!

どうなったかというと、
その男の出した手紙がね、
なんでも、
普段の三倍のスピードで相手に届いたらしいんです。
お客さん、怖いでしょう?

それでね、夜の世界じゃ畏敬の念を込めて
その赤いポストをシャア専用ポストって呼ぶようになったらしんです。」

金曜日
0442008

飛び出したチョロQには届かなかった壁すらも吹き飛ばしてしまうエネルギーがあると言っても言い過ぎということはないはずなのだ。

私はね、マスター、
最近こんなふうに思うわけ。

時として私たちの前に高くそびえて行く手を邪魔する壁というのは
私たちが壁のその先にあるものを
どれだけ真剣に欲しているかを照明するために存在するんだって。

マスター、私はもうつくづくそう思うわけ。
ねぇマスター。聞いてる?

私たちの身の回りで私たちの人生を支えてくれている
多種多様な物たちには、
そこに存在する理由みたいなものが
おぼろげながらもあるはずなのよね。

わたしの父は建築家で、彼は大きなビルや住居を描いてきたのよ。
そこには具体的だったり非具体的だったりしても
ちょんと使う人や使われる目的みたいなものがあって、
だからこそそこに価値も生じるわけなのよね。
そういうシステムみたいなものが、
どうやらこの社会には通念としてずいぶんと前から構築されているらしくて、
お陰で父は月末になると
家族五人が食べているだけの稼ぎをもって帰ってくることができたわけでしょ。
私がひもじい思いをせずにすくすくと成長することができたのも、
考えようによっては全てのものに存在価値があるっていう、
そんな抽象的な事実のお陰なのよね。

二年位前の冬のことなんだけど。
いえ、本当はもっと具体的に覚えているの。
あれは十二月のクリスマス商戦真っ只中のとある金曜の夜だった。
その夜、わたしは銀座のとある高級ブランドのお店で、
一組のカシミヤの手袋を買ったのよ。
当時の私はまだ築地でOLをしていたから、
それはなかなか贅沢な買い物だったの。

何を隠そう、私は基本的に手袋というものをしないですむのなら、
できればしないですませたい側の人間なのね。
カシミヤの手袋を購入する以前に持っていた手袋といったら
社員旅行で一度だけ行ったスキー旅行の時に買った
一組だけというありさまだったくらい。
だからその日だって、別にふらっと時間つぶしのために立ち寄ったお店で、
手袋を買う予定などまったくなかったのよ。
それなに、私、
お店に入って左のショーケースの下に
さりげなく並べられていた濃い茶色の手袋に出会って手に取った瞬間、
それを買うことに決めていたわけなの。

迷いなしって感じに。

つまり、なにが言いたいかというとね
私がその日、カシミヤの手袋を買ったのには、
具体的な一つの理由があったからである、ということ。

それはというのは、最高に肌触りの良いその手袋をつけて、
いつか、大好きなあの人の手を握りたいと思ったのね。
そしたら、寒さにかじかんでいた彼を
すこしはハッピーにできるんじゃないかなって、
結構真剣に思っちゃったのよ。

本当に、たったそれだけの酔狂な理由なの。
あえて値段は言わないけどね、高かったのよ。(笑)

しかも、結局、偉そうな理由で買った手袋は
当初の目的を果てせずじまいで。
そろそろカシミヤの生地が伸び始めてきているし。

そんな手袋君を前にすると、
正直あまり自信をもって言えることではないのだけれどね。
それでも私は、ロマンとか夢とかいったものが、
なんというかこうスケールの大きななにかでなければいけないとは
どうしても思えないのよね。

少なくとも、あの手袋には、確かな存在理由があって、
そこにわたしは小さいけれども確かなロマンを感じ夢をみていたわけで。
っていうか、気がつくと、過去形の話になってない?

ねぇマスター、私の話聞いてくれてた?


「お客さん。ちゃんと聞いてましたよ。手袋の話。」

「私はねお客さん。しがないバーの雇われマスターです。
付け髭をして今夜もこうやってたいして美味しくもないカクテルを作っているだけの男です。
巨人ファンの前では巨人ファンに
プロレス派の前では猪木イズムの継承を語りしながら、
そうやってスポーツも政治も恋沙汰も、
自我をすてただただ相手の話に合わせるのが仕事の
なんとも情けない男です。

でもね、こんな私でもね、
これだけは自信を持って言えるってことがあるんです。
お客さんはチョロQ理論って奴をご存知ですか?

子供の頃に遊んだチョロQっていうネジ巻き式の走る車のおもちゃ。
覚えてますか?
後ろにいったん引いてから、ぱっと手を離すと
撒かれネジの反動で勢いよく走るっていう
単純な仕組みですよ、あれは。

人と人との関係もねお客さん、
きっと、ちょっと後ろに下がってしまうようなことも必要なんじゃないですかね?
下がった分だけ、相手を想う気持ちが強くなるんですよ。

お客さん。私はそう信じてるんです。

でね。
私ら飲み屋の世界には、
味噌をつけて食べればなんでも美味いっていう、
もろきゅう理論っていうがあります。
双璧です。えぇ。

このもろきゅう、あちらの席のお客さんからです。

日曜日
2332008

ねえマスター。私こないだ墓穴をほったの。

ストレスを大きなスーツケースいっぱいに詰め込んで
愛しきチャンチョの待つ日本へと発って行ったダイスケが
わが家に残していったマックからの書き込み。

なんか他人のふんどしで相撲とっているみたいで
(ふんどしなんかまいたことなんかないいけどね)
とにかくとっても落ち着かないけど楽しいわ。(←カナの真似)

今夜はダイスケのストレスつながりで、
私が以前お犬の雑誌のお仕事でインタビューをした時に
聞いた話をシェアするわね。(←再度、カナの真似)

ちょっと口調がオカマっぽいけど気にしないでちょうだい。
満月のきれいな今夜ははなんだかそんな気分なの。


ラブラドールとかジャーマンシェパードなんかが活躍する
救助犬の世界のお話なんですわ。
この種類の子たちって、
本当に人間のことが大好きなブリードなんですってね。知ってました?
とにかく一夏の恋、じゃなかった、人懐っこいのよね。もう本当に。
だからこそ災害救助の現場でね瓦礫や雪崩に埋もれた人間を探せるんですって。

でもこれがあだになることもあるんだよって聞いたことがあるの。
たとえば9.11の時のように、
ほとんど生存者がいない状況で過酷な活動に長時間従事すると
大好きな人間を見つけられないストレスで
救助犬が英語で言うディプレスな状態に、
つまりおちこんじゃうって状況なんでしょうけど
そういうことになっちゃうんですって。
でね、やがてはそれ以上働くことを拒否するようになるのね。

とあるまっちょな消防士さんのお話ではね、
苦労してようやく発見した時には
もうすでに遺体になっていた被害者の方がおられたのね。
そしたらね、発見した救助犬が
その方のほほとかおでことか鼻先とかくちびるとかをね
一生懸命ぺろぺろと舐めるんですって。
マッチョの消防士さんは、
「ごめんね」って何度も言っているんだって分かったって。
それから、その子はそれ以上救助活動をするのを
かたくなに拒絶したそうなの。

ストレスってすごいわよね。

でね、じゃそんなふうに
落ち込んでしまった救助犬をどうやって
励まして元気づけるのか?想像つく?

またまたまっちょの消防士さんが教えてくれた話よ。
なんでもそういう時は、災害現場に穴をほって
そこに生きている消防士さんを一人埋めちゃうんですって。
でね、それを落ち込み中のワンちゃんに見つけさせるのね。
もうその時の、一夏の恋、じゃなかったわね、人懐っこい犬たちが
大喜びする光景は忘れられないって仰ってたわ。

これ冗談みたいだけど、全部本当のお話よ。
私がお仕事でインタビューをしてうかがったお話の中でも
一番か二番目くらいにお気に入りにしているお話なの。
満月の今夜だから喋っちゃったわ。

そういえば私先日、
パラグアイでお墓の穴をシャベルで掘ったことがあったわ。
あれってすごい経験よね。

人の遺体を葬るために、深くて暗い穴を生きている人間たちが
汗かきながら掘って行くのよ。
いつからか、葬儀屋さんがどの町にもいるようになって、
家族や友人が遺体を葬ることをしなくなったのか知らないけど
あれは本当は故人を心からしのぶ人たちがするべき仕事なのよね。
そう学んだの。

だって、生と死の明確な境ってのがあるとしたら
生きている人間がそれを実感するのに
墓穴堀以上の経験はないと私は思うんですもの。
しばしの別れの言葉をシャベルやつるはしにたくすのよ。
そうやって本当にあの人は死んだんだなって体でわかるの。

あらやだ、なんでこんな話をしてるのかしら。
本当はほら、イライラが溢れ出してとまらない鼻血の
ようになっているダイスケに、
穴でも掘って何か大切なもんでも埋めてみたらと
言いたかっただけなのに。うふ。

月曜日
0392007

サボテンは今日も・・・

これは今の家に引っ越してくるずっと前の話です。

私はもともと北関東の小さな町の出身なんですが
大学入学を機に東京に出まして、
そのまま就職、結婚、子育てと
一度も地元に帰ることはありませんでした。

そんな私の父もまた
もともとは九州の生まれだったのですが、
東京に就職のために出て来て
そのまま関東近郊を転勤で渡り歩いていましたから、
私の中で大人というものは
どこかで生まれ育った町を出て暮らすものだ
という思いがあったのかもしれません。
そんな父のほうはだいぶ前に亡くなってしまいましたが、
健在の母は私の故郷を離れ
長野の方で姉夫婦と一緒に暮らしています。

そんなわけですから、
大学を出る直前に仕事を選ぶ時も
私はどこかで転勤の多い業種を意識的に探していました。
ただ、私が、航空交通管制官というもになったのは
本当に偶然でした。

当時私が暮らしていた学生寮には
お世話になっていた寮長さんがおられて、
その方の年の離れた弟さんが、
確か学生だった私たちとはあまり変わらない
年齢だったと思うのですが、
その方がちょくちょく私たちの寮に
遊びこられていたんです。
そん方は気さくな性格なうえに
齢も近かったこともあって、
寮生たちともかなり仲良くなっていました。
私なんかもお会いすれば
ご飯をご馳走していただいたりして。

で、その方が、偶然といいますか、
航空自衛隊の自衛官だったんですね。
しかも、今でいうパイロット候補生って奴です。

当時の平凡な学生にとって、
安保闘争はとっくに過去のことでしたし
全共闘も、はっきりとはしないのですが、
どうやら敗北続きらしいっといった感じで
どこかむなしい。
なんというか大学には言葉では言い表せない
重たい空気が漂っていました。
学校の一部にはそれでもバリケードが残っていて
相手もみえずに戦っている学生がいるわけです。

でも、再開した講義には就職を意識して
卒業のために単位をとろうとしている学生も少なくない。
そして、私は、自分がどうしたいのかも
分からずに、ただ日々を過ごしているわけです。
ただ、どうも勉強をする気分にはなりにくかったんですね。
一流企業へ就職するために
露骨に闘争から身を引いていたと思われたくなくて
民間企業への就職は避けようと思いました。
ですから、自衛官というのは
なんというか
面白い選択肢かなぁってね。

しかも自衛官というのは、
社会的にはまだまだ日陰者の時代です。
まぁ、いまでも、任務の厳しさから考えれば
社会的地位は低すぎるくらいなんでしょうけど・・・。
それでも、さすがに今じゃ、
自衛官募集で学校や一般家庭に自衛官がうかがうと
露骨に嫌な扱いを受けたりはしないでしょ。
昔は、対面上、最低必要人員を集めなきゃいけないんですが
それが大変だったので、
さらに必死になって勧誘活動をすることになる。
そういう悪循環が、どうも自衛隊、そして個々の自衛官の
イメージを暗くしてしまっていたんでしょう。

しかし、私が学生時代にお会いした
その自衛官の方には、
ちっとも暗さのようなものがない。
難しい主義や理想をおおびらに述べることもないし、
苦労をひけらかすことも、
防大卒の方に多い
屈折したエリート意識みたいなものもない。
男としても人としても
とても気持ちのいい好人物で、
私はその方と特別親しかったわけではないのですが、
好意以上の、憧れににたものを
抱いていたのかもしれません。

卒業前の鬱憤とした気持ちの中で、
空を職場にすることへの憧れを抱いたとすれば
それは間違いなく、その方からの影響のためです。
唯一、自衛隊に行かずに
管制官の道を選んだのは、
当時の私にはすでに結婚を考えている恋人がいて
その女性のご親族に
仏教系某政治団体の幹部の方がいまして、
まぁ自衛隊に入ったら
いろいろめんどくさいことになるだろうなぁと
そんなふうに思いまして、
自衛官は避けて航空管制官の道を選んだんです。


航空管制官採用試験をパスして
半年ほどは羽田の近くにある
航空保安大学で研修を受けました。
連日厳しい訓練が続きましたが、
寮生活は大学時代からで慣れていましたし、
忙しいとはいえ恋人に会うこともできました。

ご存知のとおり、
管制官という職業は日本では国家公務員扱いです。
そのため、数年おきに転勤辞令がおります。
おかげで独身時代から数えると
およそ10回ほどの引越しをしました。
結局今、定住の地に選んだのも
若い頃に管制官としての訓練を積んだ
この福岡の街です。

で、その福岡管理センターへの最初の転勤で
学生時代から付き合っていた恋人との
長距離恋愛がはじまりました。
彼女は大学の一学年後輩で
卒業までもう一年ありましたし、
本人も両親も卒業を望んでいました。
それで、彼女は東京、
私は福岡で一年、
それから結婚を考えることにしたわけです。

ただ、管制官一年目のぺいぺいとはいえ
職業柄、出張で羽田に飛ぶことも少なくありませんでしたし
私用での飛行機移動に関しても優遇されていました。
土曜に東京へ飛んで、
日曜の最終で福岡に戻ることもありました。
JRがシンデレラエクスプレスなんてキャンペーンをはるずいぶん前に
こっちは空のシンデレラ気分です。(笑)
贅沢な恋でした。

で、当時、彼女の実家は麻布にありました。
住宅街に、大きくはないのですが、
洋式のすてきな一軒家で、
僕としてもなんか実家に帰ってくるような気がしていました。
仲の良い家族で、
気持ちのいい彼らの暖かさが
家の隅々にも溢れているというか、
私にとっても大切な場所だったと思います。

私の恋人はフランス文学を専攻していて、
カナダ人の先生からフランス語を教わっていました。
で、彼女の家の玄関には
そのカナダ人のフランス語教師が、
分けてくれた小さなサボテンが
鉢にいれられかざられていました。
私は植物にそれほど関心があるほうではないのですが
なぜかそのサボテンだけは好きというか、
気になってしまって、
恋人の実家を訪れるたびに
サボテンを意識していたのでしょう。
ある時、彼女が、福岡へ一緒にもって帰るようにと
小さなボーリングバッグに入れて持たせてきました。
「忙しくてちょっと水をあげ忘れても
枯れることはないから」、
私でも面倒をみれると言いたかったのでしょう。
深く考えもせず、預かることにしました。

ただ、羽田の荷物検査で若いの警備官に
「サボテンは凶器になりえます」と言われた時には、
さすがにもらって来なかったほうがよかったかなぁと
思いましたがね。(笑)

でもまぁ、
結局その女性とはそれから数ヶ月もせずに
別れることになってしまったんです。

理由ですか?
なんだったんでしょうかねぇ。
今でもよく分からない部分が大きいし
分からない方がいいかなぁと思ってもいるのですが。

ただ、一度嫁いで、最近戻ってきてしまった末の娘がね、
いつだったか、酒の席でですけどね、
「お父さんがその人と別れたのは
お父さんがサボテンを枯らしてしまったからだと思うわ」
なんてことを言うんですね。
どうなんでしょうねぇ?
そんなもんなんでしょうかねぇ。

ただ、長いこと私は、
東京で私と離れてみて、
彼女が、
私がいかにつまらない男かに気づいたからなんじゃないかって、
そんなふうにね、
漠然とですが考えていたんで、
娘とはいえ、
まっすぐな眼で
女性からそんなことを言われたら動揺はしてしまいますよ・・・。(笑)

しかし、人生なって不思議なものですね。
彼女と別れてしまったわけですから、
自衛隊に入隊しなおしてパイロットへの可能性もありましたし、
民間航空会社にパイロット候補生として
挑戦することもできたはずなんです。
でもね、私は結局、退官まで38年間を管制官で生きました。

そして、今はこの福岡の街で、
出戻りの娘が昼間預けていく孫とサボテンの世話をしているわけです。

サボテンは水をあげ忘れても枯れないと
ずいぶんと昔、
幼いながらも必死に愛した女性に言われました。
あれは、彼女の優しさであったし、
なんらかのSOSだったのかもしれません。
今となっては、それもわかりませんが・・・。
ただ、確かなことは、
あの時の私は、
枯れないはずのサボテンに
水をあげ過ぎて枯らしてしまったんです。

そんなふうにダメにしたサボテンを
「枯らした」というべきかは自信がありませんが。

火曜日
2182007

わたしがきみであなたはしろみ

これは、某民放系ネットワークの地方放送局の
人気情報番組「今日もいい気分」の
担当アシスタントディレクターが、
当時県内で密かな話題を呼んでいたカリスマ女将、
佐伯南氏(さえきみなみ)が
中部地方の某NGO主催で開かれた講演会で行った
「幸せな玉子料理」という話を取材した際の、
取材ノートから抜粋した講演を
佐伯氏の了承を得て公開するものです。




「どうも皆さん。ただいまご紹介に預かりました、
森水庵の佐伯南でございます。
本日は、どうぞよろしくお願いいたします。

えぇ、今日は、『幸せな玉子料理』という主題でですね、
少しの時間、
お付き合い気願いたいと思いまして、
こうやってですね、原稿っていうものを持参いたしまして、
昨日も遅くまで、なれないパソコンに向かって
書いてまいりました。

(会場から小さな笑いが起こる。以後、同様の反応は(笑)と表記)

ところで皆さんはパソコンなんかを
普段から用いられたりしますか?

あら、こんなにいっぱいの方がですかぁ。
さすが、今日は若い女性が多いって
伺っていただけはありますねぇ。

お恥ずかしい話ですけど、
私は今だにだめなんですね。
私共の旅館の方でも、
若い社長さんに代わられてからは
インターネットというんですか、
それを通じての宣伝とかに力を入れたり
ご予約なんかも承っておりますから、
本来はね私ももう少しは
使いこなせなくちゃいけないんですけどね。

普段から仕事でパソコンなんかを使うようにしていれば
今回みたいな時に、
こんなに苦労はしなくてすむんですけどね。
どうしてもみなさんような若い子達が
「女将さん、代わりにやりましょうか?」って、
私が三十分はかかる作業なんかを
ものの三十秒足らずで済ませちゃうもんですからね。
えぇ。(笑)

ところで、
ブラインドタッチって言うらしいんですね。
あの、例の、自分の手元を見ないでも
正確にタイプしていけることを。
こんなことを言うと、
厚化粧の下の実年齢がばれてしまいそうで
大きな声では言いたくないんですけど、
やっぱりだめですねぇ。
私のように戦後の混乱期に幼少期を過ごした世代は
どうも横文字に弱いくせに憧れだけは人一倍強くて。(笑)
私なんかも、こんなおばさんなんですけどね、
やっぱりその「ブラインドタッチ」って言葉には
「カッコいいなぁ」なんて憧れちゃうんです。(笑)

ちなみにですね。
今回、私のような、
田舎の温泉街の古びた旅館の女将をですね、
こんな、大勢の女性の、
しかも若くて意欲があって
溢れんばかりの可能性の塊のような皆さんたちの前に
引っ張り出してきて、
一つ赤っ恥をかかせようなんていう
意地悪な魂胆の持ち主のね、
「頑張れ日本の女性の会」の理事の
峰岸涼香さんなんかはね、
同じ昭和二十年代生まれとは思えない
流れるような指使いで
パソコンを扱われるんです。

(笑)

もうその一点だけでもね、
私なんかは峰岸さんへの強い憧れがあるもんですから
彼女から頼まれてしまうと
どうしても断れないものですから、
今、こうやって皆さんの前で
お話をする羽目になっているしだいなんです。
えぇ。(笑)

まぁそんなわけですから、
聡明な現代女性に向かってですね、
どんな話をしたらいいんですかって、
私も少々憤慨気味に
理事さんに伺ったんですね。
そしたら、
「ほら、あの、あなたの就職活動についてなんかいいんじゃない」って
仰られたもんですからね、
私のほうも「じゃぁそうします」という二つ返事をしまして、
今日はそんあな話をですね
することになりました。(笑)

これは私がですね、
丁度今の皆さんくらいの年齢の頃の話ですから、
考えてみたら、もうずいぶんと昔の事になります。
どうして、私が温泉旅館の女将なんかになったかなんて話です。
でも、もしかしたら、今の皆さんには
今一ピンとこない話になってしまうかもしれません。
でもまぁ、よかったら軽い気持ちで聞いてみてください。

私、もともとの生まれは名古屋だったんですが、
当時は東京の方で一人暮らしをしながら
大学に通っておりました。
私の両親という人は
私たち兄妹が幼い頃から共働きをしておりまして、
ちなみに、父は建築家、母は女医という家庭でした。
二人ともとても子供たちの教育には熱心で、
特に母の方は、
娘の私に対して幼い頃から
「大学は必ず出なさい。しかも資格を得るように」
って教えるような人でした。
私もけっこう素直子だったもので、
母の言いつけどおり、
東京の大学では会計学を専攻しましたし、
卒業後はどこかの会計事務所で経験を積んで
いつかは独立するというのが、
妙に現実的な学生だった
私の人生設計になっておりました。

ところで、今朝、こちらの大学のキャンパスを
歩いていて感じたのですが、
女子生徒さんがとっても多いんですね。
こんなことを言っていたら笑われてしまうんでしょうけどね、
本当にビックリしました。
というのも、私が学生の頃はまだ、
四年生の大学における女子の割合というのは
絶対的少数派の時代でしたし、
しかも会計専攻なんてなると
ほとんどスカートなんかは皆無でしたから。

それですからね、
私の娘や孫たちなんかにこの話をしますとね、
「おばあちゃん男子に囲まれてずいぶんもてたでしょう?」なんてね
聞いたきたりするんです。
孫の手前、「ええそうよぉ」なんて言いたいところなんですけどね
これが意外とそういうわけでもなかったんです。(笑)
まぁ、私の容姿に起因するところも
多少なりと大きかったのかもしれませんが、
それ以上にね、逆に女子が少なすぎて、
どうも皆さん遠慮されてしまうらしいんですね。
これはその、後々の人生経験も踏まえての意見ですが、
古い日本の男性というのは、
周囲の目があったりすると
欲しいものであっても
みんなでもう譲り合っちゃうんですね。(笑)

おかげで、こっちはせっかく親元を離れて
楽しい一人暮らしをしながら、
恋の一つでもしたいなぁなんて思っているのに
ぜんぜんもてないわけです。

(笑)

でもまぁ、その辺は
私も当時は女の子でしたから、
友人たちと集まっては、
「経済学部のなになに君は素敵よね」とか、
「いやいや教育のだれそれの方が魅力的だわぁ」なんてね、
そんな話で盛り上がっていたわけです。
もちろん、もてないながらも、
ちゃっかり好きな人なんかを見つけてもいるわけなんですね。

私が恋をしていた相手というのは、
当時、私の大学の近くの事務機の中卸会社で
アルバイトをしていた他校の学生の方だったんです。

私は学生時代、一時期ですが、
新劇に熱をあげていた時期がありました。
まぁいわゆる追っかけですよね。
お気に入りの劇団の公演なんかは
連日見に行っていたわけです。
学校の授業なんかほったらかしで。(笑)
ですから、仕舞いにはあまりにも頻繁に顔を見せるもので
劇団員の方にも顔を覚えてもらっちゃって、
地方公演なんかでどうしても人手が足りないときなんかは
無料アルバイトで応援に呼ばれたりなんかしていたんですね。
それはそれで、
とっても楽しい経験だったんですが、
そうなるとどうしても肝心の学業の方が疎かになってしまいます。
それでも、出席確認の方は気のいい友人たちがね、
適当にごまかしていてくれるのですが、
問題は、欠席した授業のノートを
友達から借りてきて写す作業だったんです。
なんたって結構な量なんです。
しかも、そういう面倒な作業をすぐになんかはやらないたちなもので
期末試験の直前になって大慌てでノートを借りてくるわけです。
貸してくれる友人だって自分の勉強をしなきゃいけませんから
そうそう長いことは借りてもいられない。

当時は今のように、コピー機なんて便利なものが
近所のコンビ二なんかにはありませんでしたから、
毎回、試験間際になると泣きながら徹夜でノートを写すわけです。
おかげで、試験の結果も芳しくないのも当然ですよね。
で、ある時ですね、
私のこの体たらくぶりを見て、
余りに同情してくれた友人がですね、
大学近くの事務機屋さんで
実演用においてあるコピー機を使って、
忘れもしません、
あれはキャノンの国産第一号コピー機だったんですけどね、
こっそりとノートのコピーをとってくれるらしいって
教えてくれたわけなんです。
試験前で、藁でも袖の下でもつかみたい気分だった私は
そんな便利なお店があるのであればと、
さっそく山のようなノートを抱えて
教えてもらった中卸屋さんに出向いたわけなんです。

そして、私が片思いした彼というのがですね、
バイト先のコピー機をこっそり使って
私のような不真面目な学生を相手に
まぁいったら、今でいうベンチャービジネスってやつをしていた
学生アルバイト君だったんです。

とはいってもお店のコピー機を勝手に使っているわけですから
立派な横領行為です。
どうしても私がコピーを依頼にかこつけて
彼に会いに行けるのも
他の社員の方々がお帰りになった
夜遅くに限られたわけです。(笑)
そりゃぁドキドキしましたよ。
田舎から出てきた真面目な小娘にとっては
そうとうな勇気がいる行為だったはずなんですけどね、
自分でノートを写すことを考えると
どうしてもその悪い誘惑にかてずに、えぇ。(笑)

しかも、そのバイト君がとってもハンサムで優しい方だったものですから。
私が大好きだった劇団の看板役者さんなんかよりも
ぜんぜん素敵なんですね。
「男というのは、ちょっと影をもっているくらいのほうが
素敵に映るもんなんだわぁ」なんてね、
文学部の学生みたいなことを思いながら
コピー機の彼に会いに行っていたわけです。

でもね、結局、そのアルバイトの男性に憧れるようになってからは
少しずつ私の中の「劇団熱」も収まってしまいまして。
そしたらおのずと授業にもちゃんと出席するようになって
そうなると、わざわざクラスメートに頭を下げて
ノートを借りてきてコピーを依頼する必要も無くなってしまったんですね。
でも、片思いの彼にはどうしても会いたいから
友人たちの間を尋ねまわっては
ノートのコピーが必要な子を見つけては
半ば強引にコピーをとってきてあげるってことをし始めたりして。

まぁ、別にコピーをとる必要が無くたって
彼に会いたいなら
ただ素直に会いに行けはよかったんですけどね。
私も今と違ってだいぶ恋には奥手でしたから、
遠回りでも、面倒でも、
律儀にコピーの用事を作ってじゃないと
彼に会いには行けなかったんですね。

それでも、そんなにちょくちょくコピーが必要な友人が
見つかるものでもないのでね、
彼が働いている会社の前を素通りするだけの日々が
続いたりもするわけですね。
そうすると、それはとっても辛い毎日なんですけどね、
私としてはどうしようもない。
そんなこんなの片思いが一年以上も続きまして、
そろそろ卒業後の事を考え始める時期になってしまったんです。

名古屋の両親からは、
毎日にように激励の電話がかかってき始めまして。
成績が中の上くらいの娘としても、
親の期待を受けて就職活動に本腰を入れ始めなければと
いうことになったわけです。

昔も今も、
就職活動を始める学生がまず最初にすることといえば
履歴書の作成ですよね。
私もね、コクヨの一律のやつをですね
大学の就職課でもらってきて、
一生懸命書き込みました。

皆さんもきっと、経験があると思いますけど。
この履歴書の作成というのは、
なんともいえない緊張感があるものなんですよね。
自分の人生に対する緊張感とでもいうのでしょうか。
もしかしたら、この一枚で
自分の人生が決まってしまうかもしれないなんてね、
ちょっと大げさですけどね考えたりもしてね。
なんせ当時はまだまだ終身雇用の束縛に
学生たちの意識ががんじがらめになっていましたから。

で、下書きの末にようやく清書した履歴書の中で
きれいな奴だけを選びましてね、
正面右上に顔写真をはっていくんです。
この証明写真もね、
撮影の前の日には自分へ発破をかけるつもりで
奮発して美容院に行って
髪を整えてもらっていたんです。
ところが当日の朝起きてみたら、
どんな寝相で寝たのかわからないんですけど
酷く首を寝違えていてカメラに向かって
まっすぐに向くと激痛が走るわけです。
おかげで、わざわざ写真屋さんで撮っていただいたのに
いたく不機嫌そうな表情で、
面接官を睨みつけるような顔をして出来上がってるわけです。

しぶしぶこの写真を履歴書に貼って、
希望の会社の人事部宛に郵送したり、
直接持っていたりしました。
それもね、写真の焼き回しだって無料じゃないですから、
貴重な写真を貼った履歴書を持ち込む相手は
どうしても第一希望の大手会計事務所なんかに
しぼらてしまうわけなんです。
そうなると、滑り止めで履歴書を送る相手なんかが
問題になってくるんですけどね、
そういう場合普通、写真なしで持っていくんですね。
本当の話ですよ。
当時はそれでもちっとも怒られなかったんです。

ただ、私の場合は、
憧れの人がコピー屋さんですから、
写真の出来の悪さを忘れて
写真付履歴書をコピーしてもらって
それを就職希望先に送ることにしたんですね。
白黒の写真付の履歴書です。(笑)

そういうわけで、
大好きな彼に正々堂々と会えることにドキドキしながら
彼のバイト先を例のごとく夜に伺ったら、
彼が一人で自分の履歴書をコピーにかけているんところだったんですね。
私は自分の履歴書を片手に呆然としてしまいましてね。えぇ。(笑)
その後、二人で大笑いしましたけど。

ひょんなことで、大好きな彼と履歴書を見せあいっこすることになりまして
「・・・何この写真~ちょう怪しい~あはは」って写真をみるふりしながら
しっかり相手の誕生日とか趣味なんかをチェックしたりしているんですね。
しかも、心臓が破裂しそうなくらいドキドキしながらです。
だって、そのあいだにも、彼に、
首を寝違えている写真を見られているわけです。
「えええやだよーっ」って必死で写真を隠す私の手を
彼が半ば強引に払ったりしたら、
「あっ彼に手をにぎられた」って。
まぁ正確にはにぎられたのは手首の方なんですけどね、
さらにドキドキして。

そのわりには普通の写真だから拍子ぬけしたのか
「・・・ふ~ん。なんか普段とは違うね。あ、俺より一個齢上なんだ」と、
なんだか平凡なリアクションとともに履歴書は突き返されたんですね。

なんか、その態度にすごくショックを受けてしまいまして。
当然といえば当然なんですけど、
「あぁ、この人は、私が抱いたみたいなドキドキを
感じてはいないんだなぁ」ってね。

それだけの事なんですけどね、
それはそれで私の人生には大きな衝撃がありました。

ここで、ちょっと話が変わるんですが、
私は先ほどもお話しした通り、、
現在、静岡で温泉旅館の女将をしております。
小さな宿ですから、
大した立派なサービスがあるわけではないんですけどね、
私が大学卒業直前に、
初めてこの旅館に客として泊まって以来、
心からほれ込んでいるといいますか、
人様にもこれだけは自慢できると思えるものが
一つだけあるんですね。
それは、私どもの宿の地下から湧いてくる
温泉を使ってつくる温泉玉子なんです。

皆さんは、今、もしかしたら
なんだ温泉玉子かって思われたかもしれません。
私もね、実際に食べてみるまでは
大したもんではないと思っていたんです。

ではちょっとお伺いしますけど、
皆さんのなかで温泉玉子ができる
構造っていうのを
知っておられる方がおられますか?

中には、
玉子をただかごかなんかに入れて
温泉の中に入れておいたら
温泉玉子になるんじゃないんですかって、
勘違いされている方も
結構多くおられるんですけどね。
これはですね、そう簡単なもんでもないんです。

といいますのもね、
玉子の黄身と白身というのは
それぞれ固まる温度が違うものなんですね。
黄身は60度、白身は70度で茹でると
凝固していくんです。
ですから、温泉玉子独特の、
黄身も白身も半熟の状態にするには
二つの異なる凝固点の間で
玉子を茹でる必要があるんです。
ただ、問題は、
もともと地下からわいて出る温泉というのは
機械で温度をコントロールしたものとは違って
一日の間でも温度が微妙に変動しているものなんですね。
ですから、おいしい温泉玉子を作るには
湧いて出るお湯の温度を常に把握して
玉子を入れる場所や時間を微妙に変える
必要があるんです。
これは結構手間と時間がかかる作業なんです。

でも、だからといって、
人間の手で完全に温泉の温度をコントロールして
その中で玉子をゆでたら、
それはやはり温泉玉子ではなくなってしまうと
私なんかは思うんです。
味の均一化は容易になるでしょうけど、
面白みといいますか、
温泉玉子独特のワクワク感みたいなものは
失われてしまうと思うんです。
私どもは、
そんなゆで卵を「温泉玉子」とは呼べない気がするんです。

なんといいますか、
人の心にも時として温度差があったりすると思います。
自分の感動や興奮といった喜怒哀楽を
自分が本当に大切だと思う人にも感じてもらいたい、
どうか伝わって欲しい。
そんな風に考えるのは、
心をもった私たちになら当然の事だと思うんですね。

でもね。
いつだって、
自分の思うとおりに
誰かの心が動くわけじゃないって
私たちは知っているじゃないですか。
どんなに好きな人でも、
どんなに愛しい人でも、
どんなに大切な人でも、
相手の気持ちはもう少し、
熱いお湯じゃないと固まらないってことがあるから、
人生ってどうしようもなくワクワクして
楽しいものにももなるんじゃないでしょうか?

私は、そんなことを、
小さな温泉旅館の女将になって以来
毎日、感じているんです。

これが、私が、温泉旅館の女将になった理由です。

ですから、どうぞ、
皆さんの中で、
想いが伝わらないせつなさや届かない寂しさに
心が立ち止まってしまった際には、
私どもの旅館にお越しになってください。

溢れるほど湧いて出る温泉以外には大して何もありはしませんが、
心をこめて作った温泉玉子の味を
どうぞ味わってみてください。
少しは、ワクワクできるかもしれませんから。


そんなお話でした。
本日はどうもありがとうございました。