金曜日
1252008

雪のニューヨーク博徒 第一章「おもちゃのサイレン」

「まじかよ……」

「 Oh sucks! 」

アメリカン航空18便の窓からニューヨークの街並みを眺めた僕とジョンは、
お互いに聞き取れないほど小さな声で同時に呟いた。
発した言語は異なるが、二人してとても嫌な予感がしたためだ。

一週間ぶりのニューヨークの街には真っ白な雪の絨毯が敷かれ、
白銀の世界が広がっていた。
数時間前にフロリダ州マイアミ国際空港を発つまでの僕らは、
一月なのに摂氏三十度を超え、湿度は 限りなくゼロに近い
マイアミ自慢の常夏の天気に南国気分を満喫していたのだった。
同じ東海岸沿いにあるマイアミからニューヨークまでは、
飛行機でなら三時間ほどの距離しか離れていないというのに、
この天と地ほど違う気候にはにわかには信じられないほどだった。

出発すれすれまでビーチで騒いでいた僕らは、
離陸するなりヘッドフォンを大音量に設定して睡眠をむさぼっていた。
髪の毛にはまだほのかに磯の匂いが残っていて、
雲の上での昼寝にはうってつけだった 。

しかしその極楽気分も、客室乗務員のおばさんから
着陸準備のために座席のリクライニングを
もとに戻すようにと促されて目を覚まし、
窓越しの眼下にあるニューヨークの景色を眺めるまでのことだった。

白い砂浜から白銀の絨毯へ、同じ「白い世界」といっても、
フロリダのビーチにふりそそぐ太陽をさんざんに浴びて小麦色に日焼けした肌には、
窓の外の凍えるような風景はそぐわない。
この瞬間、僕らは辛い現実へと連れ戻されたことを悟った。

「まじかよ」

僕はもう一度、今度は意識し てジョンに聞き取れるように言ってみた。
彼も相槌を打つように顔をしかめた。

やがて飛行機はJFK国際空港の除雪作業が済まされた滑走路へ
思いのほかあっさりと着陸してしまった 。
搭乗便が国内線だったために手続きは簡単で、
預けた荷物を受け取ると、
ターミナルの外に追い出されるように飛び出した体が縮むのを感じた。
ニューヨークの気温は想像していたよりもはるかに低かったのだ。
吐く息は白く、息を吸うたびに体が芯から冷えるニューヨークの一月 がそこにあった。 

僕らは慌ててガラス張りの窓に囲われた到着ロビーへと逃げ戻り、
車で迎えに来てくれるはずのキャリーという友人を待つことにした。
雪のためにター ミナル へと繋がる空港敷地内の道路はやたらめった渋滞している。
僕らの立つすぐ脇の自動ドアが人の出入りで開くたびに、
クラクションの音が聞こえてきた。
やがてクラクションに交じって遠くにサイレンの音が聞こえ始めた。
さらに、サイレン音に加えて、警報ライトが放つ独特の光も見えてきた。

「おいおい冗談だろ?」
ジョンが、自分たちを待ち受けている「特別なお出迎え」に気がついて、
うんざりするように呟いた。
サイレンはだんだん僕らの待つターミナルビルの ほう へと近づいてくる。
一般車両がサイレンに気がつき道を譲ろうとして、
さらにターミナル付近が混乱し始めていた。
クラクションの音量もいっそう増大していく。

その混乱を引き起こしている張本人が、
おそらく僕らの待ち人だろうと悟るのにたいした時間はかからなかった。
これも飛行機の中で抱いた悪い予感の一部だったからだ。

キャリーはフォードのピックアップトラックに
除雪作業用の巨大シャベルをフロントバンパーにとりつけた状態で
空港のターミナルに姿を現した。
ボンネットにはパトカーなどに付いている青と赤の警報機が、
ピカピカ光りながらうるさい音をたてている。

こいつは、キャリーが最近手に入れたおもちゃの一つで、
除雪車がサイレンを点灯させて走ると、
一般車両が緊急車両か何かかと勘違いして道を空けてくれるらしいのだ。
という話は聞いていたが、実際に自分の目で見るのはその日が初めてだった。
気の短い彼は、渋滞などで効果抜群のこのおもちゃがとてもお気に入りらしいのだが、
むやみやたらに使用するので、同乗者は恥ずかしくて仕方がないという代物でもある。

この日も、ニューヨークの看板国際空港のターミナルで
迎えの車を待つ人やイエローキャブのおじさんたちが
物珍しそうにキャリーのトラックを眺めている。
キャリー以外の人間に言わせれば、
くるくる光るサイレンは「アホ」と書かれたゼッケン以外の何物でもなかった。

キャリーの運転するトラックには白いペンキで、
「Executive Cleaning & Maintenance Service, Inc.
(エグゼクティブ・メインテナンス ・サービス)」 と書かれている。
名前の下にはさらに、必要以上にかわいらしい雪ダルマのキャラクターが
シャベルを持って雪かきをしているイラストが添えられている。
誰のアイデアかは知らないが、
このイラストを考案した人物はキャリーをはじめとする連中の正体を全く知らないか、
知っていて100%ジョークのつもりで描いたのではないだろうかと疑いたくなる、そんなイラストだ。

とにかくこの段階になると 、僕らが機上で抱いた嫌な予感が、
まさしく現実のものになったことを悟らざるをえなかった。

「やんになっちまうぜ」
キャリーの幼な馴染みのジョンが吐き捨てるように言った。
「誰か、あのバカみたいなサイレンを止めさせろよ。毎年、雪が降るたびに、
あいつのトラックはどんどん下品さに磨きがかかっていく気がするな」

僕はだまって相槌を打った。
やがて、サイレン付き除雪車が、ロビーの出入り口付近にいた僕らの目の前に停まった。
運転席から降りてきたキャリーはすぐに僕らを見つけた。

「今年も冬がやってきたぞ!」

キャリーはいつもの台詞を口にした。
それは彼流の「お帰り」なのだということはわかっていたのだが、
あまりにもこちらの感情を無視した発言に、
僕らは大人気なく切れ気味に「バカじゃねーの」 と言いかえした。
もちろん、それは、「おう、帰ったぜ」 という意味でもあったのだが。

僕らは常夏のマイアミから、雪の世界へと強制送還されていく我が身を、
シベリア抑留者たちに重ねるような切ない思いで哀れむことぐらいしかできない。
「ドナドナ・ドーナー・ドーナ……」と悲しい音楽に合わせながら。
とにかく、この後に待ち受けている過酷な労働への不満に折り合いを付けられる方法が
他に思い浮かばなかったのだ。 ぶつぶつ言いながら、
人々の好奇の的になっているトラックに乗り込んだ僕らは、
ボストンバックをアパートへ置きに立ち寄ることさえも許されず、
そのままクイーンズ行政区の一角にある「雪かき会社」まで連行されていった。

僕とジョンは毎年そこで、雪が降るたびに除雪車を運転するバイトをしているのだ。
要するに、あのアホなイラストの雪ダルマ君とはキャリーであると同時に、
僕でありジョンでもあったのだ 。

そして、空港へダサすぎるトラックで迎えにきた友人のキャリーは、
その会社の副社長 、つまりは社長息子というわけだった。
もちろん、僕らは敬意を込めてその上に「アホ」と付け加え、
「アホ副社長」と陰で呼んでいたが。 
 このアホ副社長はトラックの中で先ほどから終始笑顔だった。
それがさらに僕らの怒りに油をそそぎ、
僕らはエロ本が見つかってふてくされた中学生みたいな顔をしていた。

「夏服以外持っていないか ら、仕事なんかできないぞ」
僕らの言い訳も中学生のようだったが、
キャリーは笑いながら紙包みをポンと放ってよこした。
中にはサイズの同じ仕事着が二着準備されていた。
虚しい抵抗もここまでで、僕は一週間ぶりの冬服に着替えながら、
全てがなんと腹立つほどに段取りよく進むのだろうかと呆れながら、
窓の外に流れていくクイーンズの白い世界を眺めていた。

その日、 僕らはマイアミとの温度差三十度以上になる極寒のニューヨークで、
除雪トラックの運転をさせられた。しかも、十時間以上の遅刻出勤扱いということで、
遅れを取り戻すために例のサイレン付きトラックの使用を言い渡されたのだ。
もちろん、このサイレンはおもちゃといえ違法使用に変わりはないはずで気軽に使えはしない。

噂だが 、キャリー自身、本物のサイレンを付けたニューヨーク市警のパトカーに止められ、
「違法サイレンの使用」理由でチケットを切られたことがあるらしいのだ。
僕らにしてみれば、数十ドルのチケットぐらいで許してしまう適当な警察もどうかと思うのだが、
懲りもせずにおもちゃのサイレンを使い続けるキャリーのアホさには
敬服するしかないといったところだった。もちろん、僕らがこの日、
サイレンをオンにして仕事をすることなどなかったのは言うまでもない。
だいたい、「雪が降ったら出社」のルールのこの会社で、
遅刻もへったくれもないだろう。

結局、僕とジョンが長い「旅」を終えてアパートへと帰ることができたのは、
飛行機がニューヨークに到着してから丸々二日後のことだった。

疲れた体を引きずりな がら我が家へと戻った僕は、
坂道を転がった雪だるまのように膨れ上がった眠さをこらえながら、
机の引き出しの奥にしまってある一冊の汚れた大学ノートを取り出した。
そして、いつもの儀式を始めた。
二日間の雪かきの出来事を記録するのだ。

それは、僕がニューヨークで暮らした数年間に一つの新しい世界を覗き、
その中で生きてきた証拠だった。
僕にはその確かな存在がなんだかとっても愛おしかったし、
ある意味で、異国で暮らすことへのよりどころでもあった。

僕は毎年日本からニューヨークの大学へと留学目的で渡米してくる
大勢の遊学生の一人としてこの街にやってきた。
いや、正確には留学に大きな夢や目標があったというよりは、
何かある種の挫折感から抜け出したくて、
どことなく逃げるような思いでニューヨークへやってきた気がする。

高校 を卒後し、上京してからの二年ほどは定職を持たず、
放送作家の見習いのようなことをしながら暮らしていた。
金には成りにくい仕事だったが、
見るもの全てが輝いて見える華やかな「業界」に
自分が片足でも踏み入れている気がして、
幼かった 僕には楽しい日々だった。

とはいって も、まともな仕事もせず大学へ通うわけでもない僕には、
親からの仕送りなどを期待することはできず、
年がら年中ひどい金欠の日々が続いていた。
あるとき、どうにも金に困った僕は、求人雑誌で見つけたイベント会場の警備員という
短期間のアルバイトで家賃を稼ぐことにした。

そしてそこで僕は一人の男に出会った。

僕同様、警備員をしていたその男は、日系ブラジル人だった。

数日 続いたイベントが終わり、封筒に入った給料を手渡され、
帰り支度をしている僕に男のほうから声をかけてきた。

「すみません。お兄さん、お金幾らでした?」

わずかそれだけの日本語の中にも 、
外国語を第一言語にする人特有のイントネーションがあった。
僕は大して確かめもせずに鞄に突っ込んでいた茶封筒を取り出し、
すべての紙幣を引っ張り出して、男に見せてやった。
すると彼は、なんだかとっても苦々しそうな顔をしてから、「くっそ」と小声で呟いた。 

「カネ……足りないんっすか ?」

僕はつい、勝手に都会のルールなのだと信じ込んでいた
「他人への無干渉」の掟を忘れ、男に尋ねていた。
男は小さく頷いただけで、左手に持った自分の封 筒 を必死に見つめている。
どうやら、アルバイターを集めて いたイベント会社が、
彼に払うべき給料を多少ピン撥ねしたらしい。

「文句言ったほうがいいっすよ」 
僕はさらに首を突っ込もうとしていた。

「でも……」 と彼は言った。

「移民法改正」で日本に短期就労にやってきて、
そのまま不法労働中――新聞の社会面で読んだことがあるような経歴の持ち主だったのか。
「違法で働いている以上、立場が弱いんだ。そんなことは今まで に も腐るほどあったさ」
男の沈黙した顔には、そう書いてあった。

他人への関心をこらえる堰が切れてしまっていた僕には、
そのまま去るのはちょっとやりきれない気がした。
男の足元を見ている連中にも、それに簡単に屈してしまう彼にも、
僕は心の中で軽蔑を覚えていたのだ。

「くっそ」
今度は僕のほうが思わず吐き捨 てていた。

すると、男は僕を咎めるように見据えて言った。
「君には わからないよ 」
それはまるで僕の心を読んでいるかのような言葉だった。

「君にはわからないよ。だって、君も日本人じゃないか」

今から思えば、僕の抱いたかすかな軽蔑感は安っぽく突発的な正義感からのものだった。
彼には彼なりのルールがあり、それは他人がどうこう言う権利のあるものでもないし、
ましてや軽蔑されるようなものでもなかった。

そして男の言う通り日本人である僕は数年後、アメリカ人のこの国に、この街に流れ着いていた。

市立の大学では「ジャーナリズム」を専攻し、
アメリカ人の学生に引けを取りたくないという目に見えない内なる想いに急かされるように、
つたない英語で必死に取材をしては記事を書く毎日を送っていた。

日系ブラジル人のその男と会った時点では、
「マイノリティー」という言葉のコンセプトも理解していなかった自分が、
アメリカという国の中では日本人も「マイノリティー」であることに気づき、
それでも日本人として戦えることを証明してみせたかったのかもしれない。
だから、留学生の少ない「ジャーナリズム」という学科を選ぶことに
迷いなど微塵も感じなかったし、
それによってさらに自分を追い込める気もしていた。
話を聞くこと、文章を書くこと。
一番大好きな世界で、自分が「やれる」ことを誰かに見せつけたかったのだとしたら、
それはあの時の男の言葉に言葉を返せなかった自分自身に対してだったのだろう。

僕らの担当教授は当時、現役の新聞記者でもあった。

「ジャーナリストは民衆主義社会におけるワッチドッグ(番犬)だ」
教授は僕らにそう教え、学生もなんだかよくわからない抽象的な責任感に
自然と背筋を伸ばしたりしながら、
毎日のように大統領や市長の一言に噛みつくような討論を繰り返していた。

家に帰ってパソコンを開けば 、高校卒業後に数年働いていた時の知り合いを通して入ってくる
雑誌の原稿依頼のメールをチェックする。
たいていはニューヨークに関する簡単な情報ネタの注文が主流で、
ダウンタウンの流行の店からマディソンスクエアガーデンのドッグショーまで、
節操など気にせずに、とにかくなんでも書いては小銭を稼いできた。
そのおかげで、書きたくなんかないことだって、それなりに書けるようにはなっていた。
当時の僕が必要としていたのは、教授や日本の編集者が投げてくれるフリースピーだったのだ。
僕はただ走って、飛んで、それを銜えて帰ってくればいいという、
なんともだらしないワッチドッグに成り下がっていたのだ。

だが、気がつくと、自分自身は本当は何に興味があるのか、
何に感動するのか、そして何を書いてみたいのか、それらがわからなくなっていた。

発注を受けた記事を仕上げると、二度と見ることのない取材ノートのほかに、
自分自身のために書いたメモワールがある。
そうそれが、ニューヨークの雪の世界を綴った記録だったのだ。

その動機は単純で、とにかく汗を流して働いてみて、その仲間と同じ目線で生きてみたかったからだ。
マイノリティーとか、差別とか、日本人とか、アメリカ人とか、
もっと言えば、書くとか、書かないとかを悩むのは、
そのあとからでもいいじゃないかという、
半分諦めのような思いつきから始まっていた。

そのノートには、そんな僕の青春の断片が詰まっているが、
ハリウッド映画やテレビドラマに出てくるような美しいニューヨークの姿はいっさい登場しなかった。
ぼくの見た世界では、ニューヨーカーはカッコのいい奴ばかりじゃないし、
とびっきりのバカだっている。そして、ウソみたいな生業で生きている連中もいた。

怖いもの知らずに飛び込んで、「ジャパニーズボーイ」と呼ばれながら、
僕と彼らとの間で繰り広げられたガチンコの異文化交流について、
初めて心から書いてみたくなった。

その先に何が見えてくるかは、まったくもってわからなかったけど。

(続く)