第十一章「手配師の敗者復活戦」
水曜日, 4月 9, 2008 at 4:10午前 ミスター・ジーノは手配師だった。
フランクがベースの二階の親分ならば、
さしずめおじさんは一階の主のような人で、
みんなが敬意を込めて「ミスター・ジーノ」と呼んでいた。
一階の騒がしい人だまりはいつだって
ミスター・ジーノの周りにできていたといっても過言ではない。
とにかく明るくて人一倍元気な、
生きていることを心から感謝しきっているといったかんじのおじさんなのだ。
そして僕もおじさんへ敬意を評して「ミスター・ジーノ」を呼ぶようにしていた一人だった。
むろんおじさんとて、厳密にはフランクに雇われている「エグゼクティブ」の人間なのだが、
それでも僕が彼のことを独立した「手配師」といった意味で尊敬しているのは、
彼の行なっている仕事がまさに日本でいうところの手配師そのものだったからだ。
手配師の仕事とは平たく言ってしまえば「職業斡旋業」である。
現代風に言えばハローワークみたいなもので、
自由労働者を集めては
契約を交わしている作業場へと送り込むことを業としている
独立した連中のことを言う。
ではなぜ、雪の博徒の集団に手配師がいるのか。
博打の規模がどんどん広がっている「エグゼクティブ」では、
ある時期からそれまでではありえなかった問題を抱えるようになっていた。
雪が降るたびにそれなりの人数の労働者を集めるというのが困難な仕事になってきたのだ。
特に単純な肉体労働に終始するシャベル要員を集めるのは、
日本と同様、アメリカのような先進国では簡単ではなくなってきたためだ。
現実には、十年ほど前からフランクの知り合いだけでは
シャベルの供給が需要を満たしきれなくなり始めたという。
そこで雇われたのがミスター・ジーノだった。
ニューヨークにも日雇いの自由労働者を集めては、
斡旋している手配師が大勢いる。
イタリア系移民の父親とアイルランド系移民の母親を持つミスター・ジーノが
いつの頃から自身の背景を利用して手配師になったのかはわからないが、
フランクが雪の博打で成功し始めた頃には
彼はクイーンズ地区でもそれなりに成功した手配師の一人であったそうだ。
それもこれも、一昔前まではアイルランド系などの移民が
最低賃金すれすれで仕事をして、
ニューヨーク経済の屋台骨を支えていたためだった。
ミスター・ジーノにしてみれば我が世の春だったろう。
しかし時の経過と共にアメリカに流入するヨーロッパからの移民の数は減り、
南米や中米からの安い移民労働力が手配師たちの扱う対象へと変わっていった。
今では街の一角などで中南米出身者と思われる集団が
日雇いの仕事を求めてたむろしている光景をよく見かける。
彼らの近くを通ると、小刻みなリズムで交わされる
スペイン語の会話が聞こえてくるのでわかるのだ。
そして時代の流れに押し出されるように
ミスター・ジーノは手配師としての第一線から退き、
今は「エグゼクティブ」に雇われているというわけだった。
後で聞いた話だが、自身もイタリア系アメリカ人でもあり、
昔からミスター・ジーノの家族を知っていたフランクが、
ある時期契約先を多数失い、
羽振りの悪くなり始めていたミスター・ジーノを
「エグゼクティブ」へと引き抜いてきたらしい。
しかも、落ち目の手配師にしてみれば、
かなりの好条件での申し入れであったそうだ。
むろん「エグゼクティブ」の多くの連中はフランクの考えに反対をした。
「引き込むなら、何も廃業すれすれの奴でなくてもいいだろうに」
だれが言ったかは知らないが、正論だろう。
それでもフランクは恩のある知人を見捨ててはおけなかった。
義理とか人情とか、非合理的で古臭い考えをフランク親分は大切にしている。
他の連中も、いろいろ言っても親分のそういった男気が好きで、
フランクの周りで生きている連中ばっかりなのだが。
とにかくミスター・ジーノはフランクのもとへやって来た。
話はしかしここで終わらなかったから面白い。
非常に興味深い事態が起きるのだ。
なんとミスター・ジーノのカンバックである。
フランクへの恩を裏切らないためにと、
彼なりに新しい時代の流れと向き合うようになったのだ。
もともとは腕の良い手配師だったおじさんが、
自分を廃業へと追いやるきっかけになった
中南米の移民相手の手配の仕事をとるために奮闘しだしたのである。
おじさんはなんと、還暦近くになってから必死にスペイン語の勉強をしだした。
その努力ときたら、相当のものであったらしい。
スペイン語放送のラジオだけを年がら年中聞くという生活もした時期があったそうだ。
おかげで数年後には片言ながらスペイン語で意思の疎通をはかれるまでになった。
やがておじさんの努力で築かれた
中南米からの移民労働者専門の手配師との太いパイプのおかげで、
「エグゼクティブ」では真面目で明るいアミーゴたちが
シャベルとして会社の需要を満たしていけるようになったのだ。
一人の男の人生をかけた博打に、フランクが加担した結果だった。
僕は一度だけ、ミスター・ジーノと二人だけで酒を酌み交わしたことがある。
ゆっくりと話を聞きたいと言ったら、
ブルックリンに古くからあるビールとチーズしか置いてないという
アイリッシュバーでビールを死ぬほど飲まされたのだ。
酔いつぶれる前に、希望どおり話は聞けたのだが、
おじさんのペースに付き合わされて飲んだため死ぬほど吐くことになってしまった。
暗い店の床にはオガクズが敷かれていて、
トイレの床で吐きながら嗅いだその匂いが印象的だったことを記憶している。
「フランクも昔は、よくそうやってオガクズの匂いを嗅いでいたもんだよ」
うつむく僕の頭上のほうからミスター・ジーノの嬉しそうな笑い声が聞こえていた。
そしてその冬が終わり、おじさんは突然死んでしまった。
それは大雪の寒い冬ではなく、夏の焼けるような太陽の下でだった。
あれだけ生きることにタフだったおじさんが、
たった一回の心臓発作を起こしてあっけなく逝ってしまったのだ。
夜などに何時間も雪が降る中で仕事をしていると、
ふっと、突然雪が止む瞬間がある。
雪を落とす雲と雲の切れ目なのだろうか、
詳しい理由についてはわからないのだが、
なんかだか緊張が途切れるような瞬間があるのだ。
時間にしたらほんの数分、
いやもしかしたら数十秒程度かもしれない。
僕やキャリーやジョンの間では
この雲と雲の切れ目に起きる不思議現象のことを、
「フランクのうたた寝」と冗談交じりに呼んでいた。
それは、普段めったに集中力の切れることのないフランクが
あまりの過酷な労働に疲れて、ついうっつらうっつらして、
一瞬でも怒鳴り声が消えて静かになるかのようだったからだ。
きっと雪かき屋の中には、
そんな瞬間があることなどちっとも気にしていない連中も少なくないだろう。
それでも、僕らはなぜか、その不思議な瞬間が大好きで、
窓の外降り積もった白銀の世界のおかげで
意外と明るい夜中の街の景色や空を眺めてしまう。
ミスター・ジーノの葬式の日、一瞬だが、強烈なスコールのような雨が降った。
棺桶を乗せた車が葬儀場を出ていくところを僕らがぼんやりと眺めていた時だった。
僕には、なんだかそのスコールが
雪の夜に起きる「フランクのうたた寝」の景色に似ている気がした。
そして、その刹那の雨に濡れながら、
僕はなぜか悲しみや切なさといった重い感情から一時だけ自由になるのを感じていた。
冬の雪景色の中以外で、
「エグゼクティブ」の連中が一堂に会したのはきっとこれが初めてだっただろう。
空から降る雪はなく、
ただただ青い夏のニューヨークの中では、
雪の博徒たちの背中も信じられないほど小さく映っていた。
黒いサングラスの陰で、フランクは涙を流していたのだろうか。
(続く)
佐藤寛孝 |
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