第十五章「父さん、聞えますか?」
月曜日, 5月 5, 2008 at 4:55午後 「ジョーの相棒になった気分はどうだった?」
ベンからそう訊かれた時、僕は本当のことを言うべきかどうか迷ってしまった。
「ジョーって本当は、僕のことけっこう気に入っている気がするんだ。
もしかしたら愛されているかもしれない」 。
一瞬だけどあえておどけながら、そう言ってみようかと真剣に考えた。
「気に入れられている」というのは別に根拠があったわけではない。
ただそんな気がしていただけだ。
しかし、間違ってクレイジージョーの耳にでも入ったりしたら、
異国の地で夢半ばにして確実に果てる自分の姿が容易に想像できて、
口に出すのは止めた。
ジョーとのドライブという、
できるなら避けていたかった仕事を経験した日から少しだけ経ったある雪の日、
僕はトラックの修理のため
ベースに隣接されている「ガレージ」と呼ばれている車庫に立ち寄っていた。
ガレージに常駐している修理工はベンといい、
彼はジョーが唯一と言っていいほど気軽に言葉を交わす相手でもあった。
どうやら二人は遠い親戚同士にあたるそうなのだ。
その日、僕がガレージに入っていくと、
クレイジージョーが先客としてベンとなにやら話し込んでいた。
「あっ、やばい」
僕はとっさに体を後ろに引いて逃げ出しそうになっていた。
僕はいまだに彼に出くわすと、
体内の自己防衛システムみたいな奴が勝手に反応してしまうらしい。
「逃げてどうする」
僕は自分に言い聞かせるようにして、
少し距離をとりつつ、その場で二人の会話の成り行きを見守った。
彼らの会話はトラックに関する専門的なものだったため、
英語が苦手な上に機械にめっぽう弱い僕にはほとんど理解ができなかった。
やがて話がすむと、クレイジージョーは僕のほうを一瞥してから、
さっさとガレージを出て行ってしまった。
すれ違い際、僕はジョーに軽く会釈をした。
しかし彼は相変わらず苦虫を噛み潰したような顔しか見せてはこなかった。
「ジョーの相棒になった気分はどうだった」
普段は物静かなベンが、僕らの不思議な関係を目にして、
笑顔を見せながら尋ねてきたのはこの時だった。
ベンはあのストームの日、
壊れたクレイジージョーのトラックを修理していたメカニックだったのだ。
僕は一度後ろを振り向いて、
本当にジョーがいないことを確かめてからベンに答えた。
「キャリーの奴にだまされたんだよ。
しかも、オレ、途中で寝てしまったし…。なんか言ってなかったか?」
「寝ちまったのか?いい度胸しているな、お前」
「度胸じゃなくて、疲れてたんだよ。
働かされすぎなんだよ、キャリーのせいで…」
「でも、おかしいなあ……」
「何が?」
「ジョーは『あいつはトラックを綺麗に使っているから感心だ』って褒めてはいたけど、
寝ていたことについては何も言ってなかったからさ」
やっぱりクレイジージョーは僕のことが気に入っているのだ。
なにしろ、あのクレイジージョーに僕は褒められたのだから。
「でもさあ、それならそれで少しくらいは笑顔をくらい見せればいいのにね」
僕はベンに向かって呟いた。
ベンはそれ以上何も言わず一人微笑んでいた。
僕はベンという男がとても気に入っていた。
ベンはキャリーの幼な馴染みの一人だったが、
歳は僕らよりも四つほど上でどちらかというと兄貴的な存在だった。
ベンの仕事はメカニックなので、たいていはガレージにいて、
持ち込まれるトラックの修理をしている。
忙しい時は同業の従兄弟を二人ほど連れてきて仕事にあたっていた。
二年目の冬、トラックの運転経験のない僕に
雪道でのトラックの扱い方を教えてくれたのはベンだった。
塩を荷台に積むために使うフォークリフトや
シャベルカーの扱い方も彼に教わった。
ベンがいなかったら、雪の中で僕はきっと大変困った状況に陥っていただろう。
僕は何か問題が起きるたびに、
まずベンに相談してから必要であればキャリーに連絡をとる習慣があった。
間違ってもフランクへは直接連絡などしなかった。
そのためにフランクからカミナリを落とされたこともあるのだが。
あれは三年目の冬のことだった。
睡眠不足に陥っていた僕は、
深夜に運転していたシャベルカーの操作を間違って
シャベルを歩行者用信号機にぶつけてしまった。
「あっ、やばい!」
そう叫んだ時には遅かった。
信号機は衝撃で柱から外れかけてしまい、
上下が逆になった形でなんとかぶら下がっているといった状況だった。
しかも滑稽だったのは、そんな形でも配線はまだ繋がっているようで、
ぶら下がったまま青と赤が交互に点灯するのだ。
「信号機は一台六百ドルくらいするらしいぜ」
以前、ジョンが何かの会話でそう言っていたのを僕は思い出していた。
無線機を手にした僕は、
しかし、ベースにいるフランクやキャリーに連絡するのを躊躇した。
僕はそこで無線の受信相手をベンに切り替えた。
「ベン、聞こえるか?」
「信号機を壊しちまったんだけど、うまいこと処理する方法はないかな?
できたらフランクには連絡したくないんだよ」
しかし、どんなに呼びかけてもベンからの返事はなかなか返ってこなかった。
やがて、現場の異なるブラッドから僕に無線連絡が入った。
無線越しに聞こえる機械的な声でも、
ブラッドが笑いを必死にこらえているのがわかるような喋り方だった。
「おい、信号機壊し犯、聞こえるか?」
その言葉に、僕は固まってしまった。
「お前、ベンに連絡を取ろうとしたみたいだけど、
ダイヤルを全無線機宛に切り替えていないか?全部聞こえてるぞ」
万事休す。
気が動転していた僕は、何を考えたかブラッドが指摘するように、
無線のダイヤルを僕の電波を受信できる距離なら
誰でも受け取れるように設定してしまっていた。
その相手には、ベースのメインの無線機も含まれている。
ブラッドからの「ありがたい忠告」が終わると、
今度はキャリーが僕をからかうために連絡を入れてきた。
しかも、その連絡も他のみんなが聞けるようにと、
ご丁寧にオープン回線に設定してである。
その後も、ジョンやベンに他のドライバーたち、
そしてしまいにはこんな夜中に仕事をしていたのかと
不思議に思えるミスター・ジーノまでが
無線連絡で僕をからかってきた。
延々と三十分は止むことなく続いただろう。
僕のほうはもう、どうにでもなれといった気分だった。
そしてそれらの愛情のこもった洗礼の後に、
ダースベーダー、改めフランク親分からの短い指示が入った。
「無線の使い方を教えてやるからベースへ戻って来い!」
僕はその後しばらく、「ラジオキッズ」という、
日本語に訳したら「無線小僧」とでも言うのだろうか、
けっしてありがたくはないあだ名で呼ばれることになった。
僕がこの事件以降、ベンと無線で会話するときには、
細心の注意を払うようになったのは言うまではない。
さて、そのベンのメカニックとしてのキャリアは、
実はそれほど長くはなかった。
「エグゼクティブ」ではそれこそ新米の博徒でもあった。
彼はもともと自宅の車庫で古い旧車の修復作業をするために
メカニックの技術を学ぼうとその道の学校へと通ったのだ。
それがいつしか本職の修理工として
「エグゼクティブ」で働くようになったのは三年ほど前からだった。
それについては、こんな経緯があった。
五年前のある日、
ベンの義理の父親が家から少し離れた高速道路に長いこと放置されていた、
酷く錆びついた鉄組みを拾ってきた。
長く雨曝しの屋外にさらされていたため
赤錆に覆われた車のボディーフレームだった。
ベンはその当時まだ大学生で家族とのコミュニケーションはほとんどなかった。
広い庭の奥にあるガレージで、
時間を見つけては車をいじるのが趣味の義理の父親とは
特に長いことまともな会話すらしていなかった。
義父は何も言わず、
ベンも義父に特別何かを求めないようにして
お互いのバランスを図っていたのかもしれない。
そんな時、義父は錆び付いた車のフレームを拾ってきて一から修復し始めた。
しかし、ベンの義父が車の事故に遭って亡くなったのは、
それから一年後のことだった。
大きな工場のエンジニアとして
水の配給システムの設計と管理の仕事をしていたそうだ。
機械が好きで、とても静かな人だった。
庭の奥のガレージには主人を失った旧車のスクラップが
大切そうにシートを被せられた状態で置いてあった。
それよりも七年前、ベンには母親が再婚することに異議はなかった。
もうすでに親離れが済んで、
精神的に母親に依存する必要がなかった彼にとって、
母親の再婚は親しい友人が
新しい恋人を見つけること程度にしか感じなかったのだ。
思春期の独特なエゴのせいか、
彼にとってはもうすでに他人のようになってしまった
母親と義父の人生に興味を持つことはありえなかった。
義父が突然死んでしまうまでは。
「あの人はどんなことを思って、こんなゴミみたいなものと戯れていたのだろうか。
だいたい、あの人はいったいどんな人で、どんな人生を歩んできたのだろうか」
義父の突然の死後、
ベンは初めて義父に対して一人の人間としての興味を持つようになった。
偶然とはいえ、ある期間、同じ家で暮らし、
まがりなりにも親子となった人のことにまったく興味が湧かないとしたら、
それは余りにも切ない気がしたのだ。
そして、溢れるように湧いてくる質問を前にして、ベンは愕然としたそうだ。
そこにはもう、自分に話しかけて答えてくれる義父がいなかったからだ。
それからベンは、義父の残した庭の奥のガレージで
スクラップの旧車を修復する作業を引き継いだ。
そのためにメカニックの学校へと通い、専門書と格闘もした。
それが今から四年半ほど前の話だ。
車の古いエンブレムを探す作業から始まった彼のガレージでの仕事は、
義父と同じように少しずつ時間を見つけて作業を進めるからあまり捗りはしない。
しかしそうやって彼は誰か大切な人と向き合おうとしているようだった。
ベンが親父さんのガレージで作業中に僕に言ったことがあった。
「人の人生は誰かがその人に関心を抱いて、
その人を見つめるようになった時、
その意味を持ち始めるんじゃないかな」 。
ジョーの話が一段落してから、
僕は例の旧車の修理はどうなっているかと彼に尋ねた。
「もうすぐペイントを施してガラスを発注するんだ。
夏までには庭先で試し乗りが出来るようになるといいんだけどな。
まだもう少しかかりそうかな」 。
その年も長い冬と雪景色が続いた。
ガレージに持ち込まれるトラックには雪が降り積もっている。
それでも、もうすぐ春がやってくる。
ベンとの会話を楽しみながら、
僕には春がそして夏が待ち遠しく思えてしかたがなかった。
(続く)
佐藤寛孝 |
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