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<!--Generated by Squarespace Site Server v5.11.81 (http://www.squarespace.com/) on Sun, 19 Feb 2012 14:38:43 GMT--><feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"><title>January</title><subtitle>January</subtitle><id>http://www.creative-platform.com/january/</id><link rel="alternate" type="application/xhtml+xml" href="http://www.creative-platform.com/january/"/><link rel="self" type="application/atom+xml" href="http://www.creative-platform.com/january/atom.xml"/><updated>2008-05-27T07:34:30Z</updated><generator uri="http://www.squarespace.com/" version="Squarespace Site Server v5.11.81 (http://www.squarespace.com/)">Squarespace</generator><entry><title>January</title><id>http://www.creative-platform.com/january/2008/4/4/january.html</id><link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.creative-platform.com/january/2008/4/4/january.html"/><author><name>佐藤寛孝</name></author><published>2008-04-04T21:28:38Z</published><updated>2008-04-04T21:28:38Z</updated><content type="html" xml:lang="ja-JP"><![CDATA[<p>母と出会った頃、父はまだ大学にいた。<br /><br />まぁ正確に言うと、二人が恋に落ち<br />駆け落ち同然で結婚し<br />やがて私が生まれ<br />そして自身が死んでしまうまで<br />父はずっと大学にいた。<br /><br />いつだって父は、<br />同じ小さくて暗い部屋で<br />抽象代数学なる分野の難しいテーマを研究していた。<br />彼の研究結果が、<br />いやそもそも抽象代数学なる分野自体が<br />私や母のような普通の人の人生に<br />どれほどの影響があるのか<br />私には正直わからないけれど、<br />それでも父の研究テーマは今でも<br />つかみどころのない父のイメージと重なって<br />想像する私をドキドキさせる。<br />少なくとも、その程度には<br />父が人生をかけて愛したものが誰かを幸福にさせていることが<br />私には嬉しい。<br /><br />若い研究者としての父が、<br />「交じり合うことなく永遠に伸びる二本の直線」なるものと<br />本気で格闘していた頃、<br />十代の母は女子高に通っていた。<br /><br />生まれてから亡くなるまで<br />ずっと病気がちだった母の人生の中で<br />女子高時代の数年間というのは<br />奇跡的に母が普通の人並に<br />健康に生きられた唯一の時間だった。<br />それは、長い梅雨の時期に<br />時々気まぐれのように垣間見る青空のように。<br /><br />そのころ母の命はきっとキラキラ光っていたのだろう。<br /><br />母は学校が終わるとソフトボールの練習に明け暮れていた。<br />祖母はきっと反対したんだろうなぁ、と思う。<br />でも母は誰になにを言われても聞かなかったのだろう。<br />母にはきっと大きな空に小さく覗く青空が見えていたのだ。<br /><br />母似の私が想像を絶する運動音痴なのだから、<br />白球に汗をした母の青春というのも<br />よくよく考えるとそうとう可笑しい光景だったろう。<br /><br />母の定位置は「ライトで八番」。<br />やはりチームで一番下手だったのだ。<br />母のチームが練習や試合をするために借りていたのは<br />学校から少し登った丘の上のグラウンドだった。<br />女の子が投げたり打ったりするのはまだ珍しかった時代、<br />少年野球が週末に使う球場くらいしかなかった。<br />相手チームの打った大きなホームランが<br />子供用の狭いグラウンドを囲う低い塀を越えると<br />試合はしばし中断された。<br /><br />塀を超えていったボールをさがしに<br />隣の敷地に入る母をチームメイトと相手チームの選手が<br />談笑しながら待っている。なんとものどかな話で<br />幼かった私はこの話の中でこの部分のくだりが一番好きだった。<br />だって、その後に母はいつも不思議なことを言って<br />私を不思議にさせるのだ。<br /><br />ある日、ボールをさがしに塀を越えた母は<br />ボールのかわりに父を見つけた、そうだ。<br /></p>
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