January
土曜日, 4月 5, 2008 at 6:28午前 母と出会った頃、父はまだ大学にいた。
まぁ正確に言うと、二人が恋に落ち
駆け落ち同然で結婚し
やがて私が生まれ
そして自身が死んでしまうまで
父はずっと大学にいた。
いつだって父は、
同じ小さくて暗い部屋で
抽象代数学なる分野の難しいテーマを研究していた。
彼の研究結果が、
いやそもそも抽象代数学なる分野自体が
私や母のような普通の人の人生に
どれほどの影響があるのか
私には正直わからないけれど、
それでも父の研究テーマは今でも
つかみどころのない父のイメージと重なって
想像する私をドキドキさせる。
少なくとも、その程度には
父が人生をかけて愛したものが誰かを幸福にさせていることが
私には嬉しい。
若い研究者としての父が、
「交じり合うことなく永遠に伸びる二本の直線」なるものと
本気で格闘していた頃、
十代の母は女子高に通っていた。
生まれてから亡くなるまで
ずっと病気がちだった母の人生の中で
女子高時代の数年間というのは
奇跡的に母が普通の人並に
健康に生きられた唯一の時間だった。
それは、長い梅雨の時期に
時々気まぐれのように垣間見る青空のように。
そのころ母の命はきっとキラキラ光っていたのだろう。
母は学校が終わるとソフトボールの練習に明け暮れていた。
祖母はきっと反対したんだろうなぁ、と思う。
でも母は誰になにを言われても聞かなかったのだろう。
母にはきっと大きな空に小さく覗く青空が見えていたのだ。
母似の私が想像を絶する運動音痴なのだから、
白球に汗をした母の青春というのも
よくよく考えるとそうとう可笑しい光景だったろう。
母の定位置は「ライトで八番」。
やはりチームで一番下手だったのだ。
母のチームが練習や試合をするために借りていたのは
学校から少し登った丘の上のグラウンドだった。
女の子が投げたり打ったりするのはまだ珍しかった時代、
少年野球が週末に使う球場くらいしかなかった。
相手チームの打った大きなホームランが
子供用の狭いグラウンドを囲う低い塀を越えると
試合はしばし中断された。
塀を超えていったボールをさがしに
隣の敷地に入る母をチームメイトと相手チームの選手が
談笑しながら待っている。なんとものどかな話で
幼かった私はこの話の中でこの部分のくだりが一番好きだった。
だって、その後に母はいつも不思議なことを言って
私を不思議にさせるのだ。
ある日、ボールをさがしに塀を越えた母は
ボールのかわりに父を見つけた、そうだ。
佐藤寛孝 |
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