ファウル・ボール
日曜日, 2月 17, 2008 at 5:38午前 エースは一人、
このまま試合が長引くのも悪くはないなと、
自分のおかれた状況には
あまり相応しくないことを考え始めていた。
日本中が人気下降気味のプロの試合よりも
自分の投球をまっている。
悪い気分がするわけがない。
こんな華やかな舞台、
俺の人生に二度とやってこないかもしれない。
できるなら可能な限り長いこと
味わっていたじゃないか・・・と。
ピンチの中でそんなふうに考える彼を、
人はどう判断するのだろうか。
「絶体絶命」
落ち着いた声のNHKの男性アナウンサーが
使い古されてぼろぼろになった表現で
エースのおかれた苦しい状況を伝えている。
しかし、それはなんだか
どきどきさせられる四字熟語だと、
彼が聴いていたら思ったに違いない。
九回の表、ワンアウト二塁一塁。
スコアーは三対四でエースのチームが勝ってはいる。
しかし、一塁ランナーの俊足を考えると、
一打出ると一気に逆転という場面だった。
ここまで、彼はチーム打率で
二割近く離された強打線を相手に、
打たれはしても大量失点にはつながらない、
ようしょ、ようしょを締めるピッチングをしてきた。
そんなゲーム展開をみて、
少なくとも一時は
下馬評をひっくり返すなんて
こともありえるかもしれないと
報道関係者席の幾人かは考えたことだろう。
なによりも、今日のエースの調子は、
疲れが残るわりには決して悪くなかった。
最高で133キロのストレートと
調子が良いときに落ち気味に決まる
切れ味のいいスライダーを含めた数種の変化球を
丁寧にコースへ投げ分ける普段以上の出来。
いわゆる「技巧派ピッチャー」と関係者に評される
彼の本領発揮といった試合内容だっただろう。
奪われた三点にしても、
エースにとっては想定内の数字だった。
二日前に、監督から
相手チームの試合テープを見せられた時は、
正直もっと取られただろうと考えていたくらいだ。
三回戦、今日の相手は関西No1の名門校。
開会式の後に、
ナインとふざけて携帯のカメラで撮った
記念写真のなかの優勝旗には、
きっと同校の名前が書かれたゼッケンが
いくつもぶら下がっているのだろう。
エースの1.5倍近くの体格はあるだろう
相手チームの四番バッターは
今大会もっとも注目を集めているドラフト候補で、
彼のコメントはエースのそれの3倍近い紙面を
割かれてスポーツ紙に掲載されてきた。
しかしエースにしたら、
これだって対戦に燃える要素にはなっても、
ビビルことはなかった。
だいたいである、と彼は思う。
「一つひとつ着実に勝ちたいです」とか
「精一杯振りぬきました」など、
これで本当に関西人かと疑いたくなるほど、
どれもこれも四番バッターのコメントは
平凡極まりないじゃないか。
「俺のコメントほうが風刺が効いていて面白いし、
記事にだってしやすいはずなのに」と
彼はロードワークの途中で新聞を広げるたびに、
紙面上での扱いも超ド級の
四番バッターの存在が癪に障った。
しかしこの日、エースはこの四番バッターを
三打数無安打と完全に抑えてみせていた。
無論、日ごろから片思い的に抱いていた恨み辛みが
一球一球に込められていたことは言うまでもない。
ところが、四番バッターを完全に押さえ込んだ後にも続く
超攻撃的な下位打線にはしっかり打たれてしまって、三失点。
それでも、ここまで甲子園での打率が四割を超え、
十数年ぶりの単独大会ホームラン記録更新も夢ではないぞと
囁かれるほどの調子で本塁打を量産し続けて、
さらにスカウトの目を輝かせながら
目下高校野球界の日溜りを驀進し続ける球児を、
エースには自分の二流の球威と一流の自負がある投球術で
きりきり舞いにできているだけで大きな満足感があった。
しかし、試合も終盤、八回九回に入ると
それまで調子によかったエースの投球も
急ブレーキをかけたように苦しくなってきていた。
異変は八回の表のピッチングのときに起きたのだ。
その回、一人目を討ち取ったあとに、
マウンドから一度降りようとして一歩踏み出したら、
彼は一瞬めまいに襲われた。
その時は周囲に気づかれまいとして
適当に誤魔化すたその場にしゃがみこみ、
解けてもいない靴ヒモを結びなおすふりをしたのだが、
どうやらこちらの小さな異変に
気がついたらしい相手チームの有名監督は、
ファウルで粘ってエースの投球数を稼ぐ作戦に変えてきた。
さすがに、高校野球の監督のくせに
本を出版してしまうほどの
百戦錬磨の名コーチは違うなと
エースが強がって見せても苦しい状況は好転しない。
おかげで、八回だけで投げた数は三十四球に上ってしまった。
相手チームの作戦が面白いように効果を出して、
九回にマウンド上がった時、
一度めまいを起こした体は
取り入れたばかりの水分を
すぐに蒸発させてしまったようで、
腕はパンパン、
球が手から離れるよりもワンテンポ手前で
力を込められなくなっていた。
球威よりもコントロールで打ち取るエースにとって
これは死活問題にだった。
九回に入っても相手チームの連続ファウル作戦は続き、
球威が落ちた上に、
細かいコントロールが利かなくなった彼のボールは
思うようなコースに決まらず、
粘られた末に二人も歩かせてしまっていた。
相手チームの監督には明らかな彼の変調も、
素人に毛が生えた程度の味方チームの監督には
気づいてもらうことすらないようで、
ブルペンの控え投手が
あわてて肩を作り始めるといった様子は
いまだに見られない。
まぁ、代えようにも、こんな場面で
今日四度目の打席に立つ
高校界No1スラッガーを相手にできる控え投手が
自分のチームに要るわけがないだろうとも、彼は知っていた。
「いや、きっと日本中どこを探してもそんな控え投手がいるわけがないか…」
「さしずめ俺は傷だらけのエースってところかな・・・」
四番バッター相手に最初に投じた
角度のある速球に近いスライダーが、
左バッターである彼の外角やや低めに入ると、
瞬時にグリップを握る手をほんの少し緩め、
明らかにフルスイングではないが
巧みに振られたバットに当たったボールは
緩く揚がって三塁側へのファウルフライになった。
「お前もかよ」
少なくとも、今日の試合では
もっとも力を入れて勝負してきた相手に、
くだらない作戦のために
フルスイングすらもしてもらえず、
多少は通じ合っていると思っていた心を
あっさりとざされた気分になったエースは
そう心の中で叫んでいた。
そんな彼の想いをのせて
高くあがったフライを追ったキャッチャーが
目測を誤り相手チームのベンチへ、
低いフェンスにこけて頭から突っ込んでしまった。
ここで試合は一時中断され、
気がつくと本日まだ三試合目ながら
ナイター用の照明に火が灯されたのだ。
(続く)
佐藤寛孝 |
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