April
木曜日, 3月 12, 2009 at 4:28午前 昔から、3月は嫌いだった。
この時期になると
みんなもう直ぐ4月になるからと
みょうに浮き足立っている・・・気がする。
子供の頃は新学期、クラス替え、転入生。
大人は昔子供だった頃に刷り込まれた春の匂いに
やっぱりドキドキしてしまう。
世界中を見回しても
日本の大人だけが桜の木の下で大騒ぎするのは
子供の頃に4月を知ってしまったからだ。
国籍だとか人種なんて意識したことがなかったのに
海外に出てとたん
自分が何者であるかなどと
必死に再認識しなくちゃいけなくなるのは、
この季節に桜の木を見て育った我々の宿命なのだと思うと
なんかちょっと日本人って抜けていて愛らしいなぁと思ったりもする。
4月なんて、
実際迎えてしまえば特になんてことはない。
日本中のどんな社会も
入ったり出たりが一番騒がしいから
ただただあっという間に過ぎていくだけなのに。
でも世の中は当たり前のように平等じゃなから
季節も暦も決して分数ではあらわせないのだ。
そうやって毎年春が来たって騒ぐから
リトルイタリーとチャイナタウンの関係みたいに
3月はどんどん4月に侵食されていく。
そんな3月が私は嫌いだった。
「桜が散ると栗の花が咲くでしょ。」と昔母はよく言っていた。
それが5月だと。
栗の木なんて、子供には秋になるまで忘れられている。
母の前で合唱コンクールで歌う課題曲を練習していたら
「5月に栗の花の匂いを知った時、思春期が始まるのよ」と笑った。
大人になって、小さな女の子相手に
あれはあれで結構大胆な話をしていたものだと
笑って年老いた母をしかれないのが悔しい。
「一番楽しい人生をおくりたければ
自分のためにいきなさい。
でも、一番嬉しい人生は
だれかのためにいきなきゃね。」
なぜだろうか。
桜の花をみると
母が生きていて、叔母が元気で、やさしい山田さんと過ごした
楽しかった時間がよみがえってくるのに
栗の花の匂いに
私はいつだって
笑っていた母や叔母やだれかを
思い出してしまう。
佐藤寛孝 |
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