金曜日
7032009

May

私は本当に弱い人間だから
自分にもひとにも
失敗なんか怖がらないで前に進めばとは
どうしてもいえない。

辛いことがあれば身をかがめるし、
震えながらその苦しみが通り過ぎるのをただ耐えて待つだけ。
子供の頃からたくさんの大切な人が私の前から去るたびに
見つめていたら、飛び出したら、
傷が心まで達してしまいそうなほど
とげとげしい現実に遭遇するたびに
私はただガタガタと震えていた。
明日はきっといいことがあるって信じて?
いや、そう願っていただけ。

だからこそ、私やあの施設のこたちはみんな
本質的に知っていたのだと思う。

人の豊かさって、
その人が体験した苦しみや悲しみと
その人が味わった喜びや幸せの、落差のことだって。

「あなた幸せ?」って質問されることがあっても
「あなたは豊か?」って訊ねられることはないでしょ。

でも、鏡の中、他でもなく私の瞳が
そう訊ねてくる。

危険を極力排除した人生は、安定しているけど、
豊かさをうしなってしまう。
豊かさは人生の起伏に対して認識できるものだから。
毎日ご馳走を食べても、毎晩大好きな人の腕の中で眠っても
それはもちろん幸せだけど、
その大切さありがたさを認識できなくなっちゃう。
だってハッピーなんだから。

人は飢えを知って食べ物のありがたさを知るでしょ。
その落差を豊かさというのであって、
ミシェランの星の数は残念ながら本質的な豊かさではない。

「豊かな人生を歩むには
ある程度の危険も覚悟しなければならないのよ」なんて
もちろん母はいわなかった。
なんでもかんでも母が教えてくれたわけじゃない。

母が死んで、一人で気づいたことのほうが、今はもう多くなってしまった。
今はそれが一番悲しい。

木曜日
3122009

April

昔から、3月は嫌いだった。

この時期になると
みんなもう直ぐ4月になるからと
みょうに浮き足立っている・・・気がする。

子供の頃は新学期、クラス替え、転入生。
大人は昔子供だった頃に刷り込まれた春の匂いに
やっぱりドキドキしてしまう。
世界中を見回しても
日本の大人だけが桜の木の下で大騒ぎするのは
子供の頃に4月を知ってしまったからだ。

国籍だとか人種なんて意識したことがなかったのに
海外に出てとたん
自分が何者であるかなどと
必死に再認識しなくちゃいけなくなるのは、
この季節に桜の木を見て育った我々の宿命なのだと思うと
なんかちょっと日本人って抜けていて愛らしいなぁと思ったりもする。

4月なんて、
実際迎えてしまえば特になんてことはない。
日本中のどんな社会も
入ったり出たりが一番騒がしいから
ただただあっという間に過ぎていくだけなのに。
でも世の中は当たり前のように平等じゃなから
季節も暦も決して分数ではあらわせないのだ。
そうやって毎年春が来たって騒ぐから
リトルイタリーとチャイナタウンの関係みたいに
3月はどんどん4月に侵食されていく。

そんな3月が私は嫌いだった。

「桜が散ると栗の花が咲くでしょ。」と昔母はよく言っていた。
それが5月だと。

栗の木なんて、子供には秋になるまで忘れられている。
母の前で合唱コンクールで歌う課題曲を練習していたら
「5月に栗の花の匂いを知った時、思春期が始まるのよ」と笑った。

大人になって、小さな女の子相手に
あれはあれで結構大胆な話をしていたものだと
笑って年老いた母をしかれないのが悔しい。

「一番楽しい人生をおくりたければ
自分のためにいきなさい。
でも、一番嬉しい人生は
だれかのためにいきなきゃね。」

なぜだろうか。
桜の花をみると
母が生きていて、叔母が元気で、やさしい山田さんと過ごした
楽しかった時間がよみがえってくるのに
栗の花の匂いに
私はいつだって
笑っていた母や叔母やだれかを
思い出してしまう。

月曜日
5052008

February

私が物心ついた時から母は長く重い病気と闘っていたため、
幼い私は多くの時間を病院のロビーや病室で過ごした記憶がある。

小さなレモン牛乳のパックを与えられて
待合室の一番前の長椅子に腰掛け、
何時間も一人で TV を見ていると
顔見知りになった先生や看護士さんたちが立ち止まってくれた。
そして大抵は、私がジュースをどうにか飲み終わる頃になると
母は診察室から出てくるのだった。

母は最終的には在宅での介護を受けていたが、
私の記憶の中で、母の病は、
消毒液と人がおびえた時に放つ異臭の交じり合った世界にあった。

母が亡くなり、数年後に叔母が走ってくる電車に身を投げた時、
山田さんから連絡を受けて市内の警察病院に慌てて駆けつけた私は、
病院の懐かしい匂いに
場違いにも心が一瞬緊張の糸を解くのを感じてしまった。
ずっと私を縛り付けている恐怖の糸が、
母がその命を奪われた忌まわしい病気と闘っていた戦場で嗅いだ匂いの中で
解けて行くことにたっぷりの皮肉を感じながら。

母を病気で失った幼い私は、医者になるのが夢になった。

けっこう複雑でやっかいな出来事の連続の中で育った私が、
大した努力もせずに奨学金を受けて医大へ入れたのは、
きっと父が私に残してくれた遺産のおかげだったのだと思う。
私のDNAに組み込まれた彼の優秀な頭脳が
私と幼い夢を結びつけてくれた。

母と叔母を失い、医学の道へ進む。
ありきたりだが、世の中というのは
わかりやすい理由や動機がもっとも受け入れられるものだ。

でもね。本当は少し違う。
だって、私が医者を志したのは、
別に母の担当医が最善を尽くして母や叔母を救おうとしてくれたからでも、
待合室で私に笑顔を忘れさせないようにと
優しく接してくれた先生や看護婦さんたちの姿に憧れたからでもない。
幼かった私は、
彼らのように他の誰かの命や心を救うために医者を夢見たのではなかった。

ただ、自分の人生を自分でコントロールしたかった。
そのために、この道がもっとも都合がよく思えたのだ。

私自身がもう誰も失いたくなかったのだ。