木曜日
6052008

第十七章「シンティア」

「俺はタックスリターンが終わればどこか暖かいところへバケーションさ」

三月も上旬になると雪のピークシーズンが過ぎたこともあってか
オフィスの一階では誰とはなしに春からの予定なんかを口にし始める。
冬の間中、空模様や天気予報に一喜一憂しながら生活していると
行き先は「どこか」でいいから
とにかくニューヨークから離れたくなるものだ。
というわけで、四月に入ればとブラッドは毎年奥さんを連れてメキシコへ長い休暇に出るし
ジョンはフロリダに暮らすお兄さんの元に半年ほど身を寄せるらしい。

ちなみに、タックスリターンとは日本でいうところの「確定申告」のことで、
アメリカでは自営業者だけでなく
いわゆる勤め人であっても
税の申告は個々が行うことになっており、
四月の半ばに締め切りが来る確定申告を済ませなければならない決まりなのだ。
三月になると、トラックを運転しながら流れるラジオに
税理士の確定申告代行サービスを伝えるコマーシャルが急激に増え始める。
春はタックスリターンと共にやってくるといった感じだ。

僕はそんな彼らの会話に耳を傾けながら
オフィスの隅で一人コーヒーを飲む女性の存在が気になっていた。
男所帯のフランク一家にあって唯一の女性ドライバー。
僕と目が合ったシンティアはニコッと笑ってから、
肩を大きくすくめるジェスチャーをした。
僕に近づいてきた彼女は
「もうすぐ冬が終わっちゃうのね」と言った。
「僕はもう、当分雪は見たくない気分ですよ」と答えた。
その年は、例年にない大雪のシーズンだったのだ。

僕の言葉にシンティアはもう一度肩をすくめてみせた。

シンティアのことをどう書いたらいいのだろうか。
迷い続けていたら、彼女の話がまとめられずにここまできていた。

「なんだかあなたのことはずっと昔から知っているような気がするわ」
初めて彼女にあった時、シンティアはやぶからぼうにそう言った。
僕は返答がうまく言葉にならず、ただ愛想笑いを浮かべながら
彼女の真意に思いを巡らしていた。

僕はその日、キャリーに連れられて
以前からフランクと付き合いのあるカーディーラーに会うため
ペンシルバニア州のピッツバーグという街まできていた。
売りに出されていた数十台の除雪用トラックの売買交渉が目的だった。

先方より待ち合わせ先に指定されたカフェに
約束の時間よりもかなり早く着いてしまった僕たちは、
一度、ピッツバーグの郊外に住むキャリーの叔母さん、
つまりフランクのお姉さんの家に立ち寄ることにした。
僕が彼女に会うのはキャリーの結婚式以来、二度目のことだった。

叔母さんの家には先客がいた。
それがシンティアだった。
シンティアは叔母さんの旦那さん側の遠縁の親戚、
つまりキャリーにとっても血の繋がりはないが
一応は「親戚」ということになるらしい。
イタリア系は「ファミリー」意識が強いということだ。

当時、シンティアは怪我を負っていた。
四十代を目前にして彼女は戦争で夫を失ったばかりだったのだ。
それは皮肉にも、大統領の劇的な勝利宣言から
ちょうどう二年後の午後のことだった。
イラク北部の町で建設途中の給水タンクをパトロール中に襲撃された。

駐留軍は報復に襲撃者たちが潜伏していたらしい荒野の村を一つ焼いた。

中東で何世紀も続けられてきた不毛な消耗戦。
アメリカは自ら足を突っ込む形で介入したイラク戦争の
泥沼から抜け出せない代償を払いつづいけていた。
たとえばそれはシンティアのような家族の悲しみや
戦場という異常な日常にさらされる兵士たちの精神的、肉体的な負担という形でだ。
いつだって犠牲のつけを払わされるのは政治的決定権を持たない市井の人々なのだ。

キャリーの叔母さんは精神科医と友人の両方の立場から
シンティアを支えようとしていた。

その冬、シンティアがエグゼクティブで働き始めるということを
キャリーから聞かされた時は正直驚いた。
しかし、もっと驚いたのは、彼女がトラックの運転をすると聞かされた時だった。
僕の知る限り、フランク一家に女性のドライバーは存在したことがなかった。
なんでもフランクのほうでは過酷な雪の中での仕事ではなく
オフィスでの事務系業務をさせるつもりのようだった。
ところがシンティア本人が事務仕事よりもトラックを運転したいと言い出したのだそうだ。

前例のないことだけに、フランクは渋った。
しかし、渋る理由に正当性を欠いていることを彼は誰よりも理解してしまう。
ロジカルと男気の融合しているフランクの弱点が珍しく露呈して
シンティアはフランク一家初の女性ドライバーになった。
キャリーが嬉しそうにその辺のいきさつを教えてくれた。

シンティアが担当したルートは僕も初めて除雪車の運転をした時に担当した
オフィスの近辺だった。フランクのお膝元といったところか。
ボスの信用度合いはオフィスを中心にして広がっていく
担当ルートまでの距離に比例する。

その冬の降雪量は多かった。シンティアは一生懸命働いた。
少なくともキャリーやベンなどのベースに残る連中の評判は良かった。

一階にたむろするドライバーたちも
それこそ当初は珍しい女性ドライバーと
どう付き合っていいのかわからず戸惑っていたが、
クリスマスを過ぎる頃にはあたりまえの存在として彼女を受け入れていった。
僕やキャリーには、相手が警官やフランクでも平気で食って掛かかり
言葉遣いや態度の悪さではチンピラと大差のない(実際には元犯罪者も多いけど)彼らが
シンティアに必要以上に気を使っている光景はなかなか興味深かった。

シンティアが存在することでエグゼクティブの雰囲気は微妙に変化していた。

そして変化していたのは彼女も同じのようだった。
ガラの悪い博徒たちの中でこそ
降り積もる雪の中でこそ
シンティアの社会復帰が見え始めた。
僕は勝手にそんな気がしていた。

やがて四月がきた。
例年通り、タックスリターンを終えたブラッドやジョンが
ニューヨークを離れて行った。
僕はというと東京の出版社の依頼で受けた取材をこなし
原稿を書く日々に戻っていた。
キャリーとは定期的に会っては食事やスポーツ観戦をしていたけれど
エグゼクティブの連中のことが話題に上ることはなかった。
祭りの後。それはいつものような春だった。

僕はキャリーと彼の奥さんに数人の友人を加えて
フランスへ数週間の日程で遊びに行く予定を練っていた。
冬に華やかに開かれた賭場の裏方仕事に片付け事務などで
他の連中には遅れをとったけれど、
キャリーもまたニューヨークを少し離れたいと思っていたようだ。
この辺の感覚は博徒にしかわからないかもしれない。
そして、僕はシンティアはどうしたかなと考えていた。

夫を失った彼女には子供がいなかったから
今はやもめ暮らしのはずだった。
僕自身、結婚したことがないので、
時々訪れては去っていく一人の寂しさを
多少は理解しているつもりだったけれど、
それでもずっと一人だった僕のようなタイプと
ある時突然一人に戻された彼女の間には
やはりなにか決定的な違いがある気もした。

ベースの一階で皆が春からの予定に話を咲かせていた時
シンティアは僕と目が合って肩をすくめるしぐさをしてみせた。
僕には彼女がバケーションに行くとは思えなかった。
冬が終わるのがもったいないといった雰囲気ですらあった。

僕の想像したとおり、シンティアが休暇に街を離れることはなかった。
シンティアが死を選らんだのは5月の最初の日だった。
大統領の「戦闘終結宣言」から三年目のことだ。
もしかしたら、彼女が生きることを諦めてしまったのは
ずっと前のことだったのかもしれない。

僕もキャリーも、葬式には行かなかった。
そしてフランスへの休暇もキャンセルした。
申し合わせたわけではないが、それが正しいと思えたからだ。

エグゼクティブに出入りするようになってから
僕は少なくない仲間たちの苦境、そして死にも遭遇してきた。
長寿の末の死、病による死、そしてシンティア。
僕はシンティアのことをどのように言葉にすべきなのか長く迷っていた。
正確には今も迷っている。
本当に短い期間の係わり合いでしかなかったのにも関わらず
僕は自分でも予想以上にショックを受けていた。

キャリーの叔母さんがいつだったか教えてくれたことがある。
シンティアはフランクの元で働いた数ヶ月間、
雪が降リ始めるのが楽しみでしかたがなかったそうだ。
空の移り変わりに一喜一憂し
チャンスがあるたびにTVの天気予報をチェックしていたという。

「子供のようにはしゃぐ彼女を見ていたら、
『普通』の彼女に立ち直ったように見える時期が
実は精神的に一番危険な時期だということを忘れてしまったのね」と
叔母さんは言って涙をこぼした。

叔母さんの涙を見るまで、
僕は心のどこかで、シンティアもフランスへの旅行に誘うべきだったと
後悔していた気がする。
でも気がついた。
彼女にとって本当に大切だったのは僕らのような「どこか」ではなく
「だれと」だったのだということに。


(続く)