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木曜日
3292007

夜の闇は世界から光を奪い、多くのものを隠す。けれど月が梟に語った話によれば、闇は光の中で姿を失ったものを浮かび上がらせる力があるのだそうだ。もし世界に幾ばくかの夜が必要だとするならば、それは闇の中でのみ感じことのできるなにかのためなのかもしれない。


その晩、少年は知った。

外国の硬貨のように分厚い眼鏡をかけて、毎晩文字を追っていたら、もう少年には読む本がなくなってしまったのだと。

街中どこを探しても少年が読んでいない本は見つからない。

少年は初めて生まれ育った街をでてみようと思った。どこか遠く知らない世界に行けば、まだ見ぬ言葉に出合えるかもしれないと思ったのだ。

少年の知る限り、街はまだ闇の中だった。

少年は一番丈夫な靴を履き、家の前の通りを迷わず西へ行くことにした。まだあたりは暗かったが、角のパン屋からは香ばしい朝の匂いが流れていたのだ。

パン屋の前では大きな薪を抱えた青年が忙しそうに働いていた。
少年は青年にきいた。

「何をしているの?」

青年は少し嬉しそうに答えた。

「もうじき朝がやってくるのさ」

少年もなんだか嬉しい気分になった。そしてパンのはじを一切れわけてもらいまた歩き出した。

街灯にはまだ灯が残っている。少し行くと、時計台の大げさなねじを巻きなおしている老人に出会った。

少年は老人に聞いた。

「何をしているんですか?」

老人はしわくちゃの顔で答えた。

「朝がはじまろうとしているのだよ」

少年もしわくちゃな顔で笑った。

さらに少年がいくといつしか高い建物が減り人影もまばらになっていった。少年は心細くなった。

それでも少年が歩き続けると、見渡す限りの草原にでた。草木を渡る風にはかすかな塩の匂いがまじっている。はるかかなたに広がる海原が、少年には見えた気がした。とうとう街の果てにまできたのだと、少年は思った。

月明かりの草原では牛の親子があちらこちらで草を食んでいる。草原を行くと、一組の幼い姉妹が、眠そうな目で乳をしぼっているのに出くわした。

少年は姉妹に聞いた。

「何をしているの?」

姉妹は照れながら答えた。

「朝がはじまろうとしているの」

少年は心に風がふくのを感じた。持っていた水筒にミルクをわけてもらい、少年は草原を渡りはじめた。満月はまだ少年の頭の上にあった。

少し行くと小川の近くに焚き火のあとを見つけた。少年と同じ道を誰かが歩いた証に彼は少し勇気を感じた。

少年はそこで読み終えたばかりの最後の本を燃やした。火にあたりながらパンをかじり、ミルクをすすった。朝はまだかなと少年はつぶやいた。もしかしたら自分はみんなに騙されていたのかもしれないなという思いがよぎった。

焚き火からのびる一本の細い煙がタイヨウを優しくノックしていた。それでも朝はまだ少年には訪れなかった。

やがて少年は夢をみた。

踏み切りのある南の島を描いている夢だった。この月明かりの草原を越えたむこう海のとてもとても遠い、そうきっとそれは反対側の世界に浮かぶ島だった。

街の画材屋さんで一番高価な色とりどりのクレヨン。走る真っ白いキャンバスは、少年の 心 (ゆめ) だった。

キャンパスには列車を待つ踏み切りがひとつ描かれていた。どんなに待っても列車はこないのにと少年は思った。島には線路がなかったのだ。

それでも踏み切りはしあわせなんだろうなと少年は思った。百年でも幸せなんだろうなと思った。

一冊の本(「銀河鉄道の夜」という名だったが)は以前には少年を興奮させ、今また焚き火にくまれて少年を励ましていた。

やがて懐かしい言葉が少年の中で星となって夜空を走った。言葉は遠くとおく踏切を越えていった。

少年は星を眺めながら、「朝はもうきていたんだな」とこの時はじめて気がついた。

やがてどこかで一匹の梟が長く鳴いて、本当に朝がきた。

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