第七章「南の国のシャベルたち」
水曜日, 3月 5, 2008 at 1:09午前 シャベルを手に歩道の雪をかいて回りながら、
博打の大まかな段取りのようなものを学ぶ一年目の冬が過ぎ、
やがて次の冬がやって来ると、
キャリーは僕に除雪トラックの運転をさせてやろうと言い始めた。
「まぁー君も、去年は一年間シャベルとしてがんばってくれたから
今年はトラックの運転をさせてやろうと思う。
どうだ嬉しいだろう?」
リクライニング機能付きの回転椅子に座り、
くるくると回りながら話すこの男は、
バカとはまがりなりにも「エグゼクティブ」の副社長であり、
僕の上司にあたる。
それでも、ここまではっきりと上からの目線で言われると、
彼の親友でもある僕としては少し癇に障らないこともなかった。
だがそこは僕も、
「はぁはぁ、お気遣い感謝いたします」的なことを
述べることしておいた。
せっかく機嫌の良いキャリーにたてついて、
寒い冬の間歩道の雪をシャベルで永遠にかかされるよりも、
暖房の効いたトラックの中で
ハンドルを握っていたほうが得だと計算高く考えたからだ。
僕はいつの間にか取材目的でもぐりこんだ彼らの世界で、
心地よい居場所のようなものを見つけ始めていたのかもしれない。
トラックでの除雪はチームワークで行なわれる。
運転手の相棒として歩道などの
トラックではどうしても狭くて入っていけない箇所の
雪をシャベルでかいたり、
荷台から塩を撒いたりする役目をする
「シャベル」と呼ばれる人間が助手席に乗りこむのだ。
肉体的にはシャベルのほうがきつい仕事をすることになるが、
チームの責任者として細かなことまで気にかけながら
仕事をする運転手もそうそう楽ではない。
何か問題が起きれば、
責任はドライバーが取ることにもなるのだ。
むろんその分稼ぎはドライバーのほうが圧倒的に良いのだが。
しかし、前の年まではシャベルとして助手席に乗っていた僕が、
翌年にはトラックのハンドルを握っているというのは
いささか不思議な気がしないでもなかった。
「大出世だな、小僧」
ブラッドがニヒヒと笑いながらさっそく僕に声をかけてきた。
「そうですね……」
僕は中途半端な答えしかできなかった。
「なんだ、くそ寒い中を雪かきさせられることから解放されたのに
あまり嬉しくなさそうじゃないか」
ブラッドが少し怪訝そうに僕を見ているのがわかった。
「なんだかちょっと悪い気もして」
いったい誰に対して悪い気がするのかなどと、
やぼなことを彼は訊いてはこなかった。
ブラッドの言うように、これはこれで確かに大出世なのだろうが、
それとて別に僕が去年一年間、
一生懸命仕事をしてきたからだけというわけではなかった。
そのことをブラッドも僕も十分知っていたのだ。
「エグゼクティブ」ではシャベルとドライバーは
まったく別種の仕事として人を雇うことになっている。
つまり、どんなによく働くシャベルでも
出世をしてドライバーに変わるということは通常ありえないのだ。
要は、僕がキャリーやフランクの知り合いだったから
ドライバーになれたのである。
そのことを十分わかっていたからこそ、
僕は今年も冬空のもとシャベルで雪をかいて回る
連中が気の毒に思えたのだ。
彼らのことを考えれば素直に喜んじゃいけない気もしていた。
フランクが雇い入れるシャベルたちの多くは
中南米からアメリカへとやって来た新移民たちだ。
大抵はニューヨークの経済ピラミッドの
最下層に属している連中でもある。
誰も彼も貧しいということの本当の意味を知っているという
そんな顔をしているのが印象的だった。
しかし、誰も貧しさからくる
ある種の悲壮感のようなものを抱いてはいなかった。
一年目、僕はそんな彼らと一緒に雪が降りつもり、
やがて氷に変わるほど寒い外で、
汗が体から立ち上る湯気になるほど必死に働いた。
彼らの多くは僕が今まで出会ったどんな労働者たちよりも
真面目で明るい連中だった。
中南米の男たちというのは一般的に陽気だと聞いていたが、
きつい労働の間でも笑顔が耐えない彼らは
一緒に汗を流す相手としては最高だった。
そしてまた、体を動かして働くということに
あくまで真摯に取り組んでいる彼らを見ることで、
僕は自分たちが行なっている仕事が
体力さえあれば誰にでもこなせる
単純な肉体労以上のことであるのでは、とすら思えた。
一生懸命という言葉は安易に使われすぎていて
あまり好きではないのだが、
でも彼らには一生懸命生きているという表現が似合った。
むろん、誰よりもまず自分に厳しいフランク親分が、
たとえ一冬だけの関係になったとしても、
陽気なシャベルたちの社会的立場の弱さに
つけこむということなどはありえないはずだった。
そんなことをしなくても、
彼は十分に成功できる器の男だった。
フランクはシャベルたちに対して、
ニューヨーク州が定めた最低労働者賃金を
四ドル以上も上回る時給を支払っている。
英語もあまり上手に喋れない彼らにしてみれば、
それは破格の待遇だろう。
それでもドライバーに指名された僕は、
そんな彼らに対して似合わない罪悪感みたいなものを抱いたのだ。
そう感じることすら
傲慢で勘違いした行為かもしれないとも思いながら。
「大出世か……」
もう一度呟きながら僕はキャリーの部屋へと戻っていった。
一般的に、ドライバーにはトラックや重機などの
運転経験のある者だけが雇われる。
冬になると、普段は長距離トラックの運転手や
消防隊員として消防車やはしご車を運転している連中が
フランクのもとに集まってくるのだ。
もちろん僕にはトラックの運転経験などはなかった。
さらに白状すれば、
十九歳の終わりで渡米してしまっていたので、
日本での自動車の運転歴も浅く、
だいたいアメリカで運転免許を取っていたのも
たんに身分証明書としてパスポートの代わりに
普段持ち歩けるものが欲しかったからであった。
そんな僕が巨大な除雪シャベルを前方にとりつけ、
荷台にはこぼれんばかりの塩を積んだトラックを、
雪のために視界が極端に悪く
非常に滑りやすい悪路の中で
夜も昼も関係なく運転することになったのだ。
成り行きとはいえ、今振り返っても非常に恐ろしいことこのうえない。
「それもこれも全ては俺の親切なはからいによるのだぞ」
キャリーは少しだけ得意な気分になって、
僕の想いとはかなりずれたことを言っていた。
「トラックを壊したら、お前が責任取ることになるけどな」
なんだかんだいっても優しい友人に、
僕は呟くように言い残し、
ベースからもっとも近いミドルビレッジと呼ばれる
工業地区のルートを手にして、
路上に停められたトラックへと向かった。
こうなったらどうにでもなれといった、
すこしだけ投げやりな僕の背中に向かって、
「今夜のシャベルはデネンだからな」とキャリーが叫んでいた。
(つづく)
佐藤寛孝 |
Post a Comment | 