土曜日
2102007

第六回:番外編「信じる者は救われる」

 

中学の時、部活の練習中に左足首を怪我して町の病院から大きな総合病院を紹介された。そこならスポーツ・リハビリ専門のスタッフがいるから、と。

「お家の人と読みなさい」と渡されたパンフレットの表紙には郊外にそびえる巨大で清潔な建物が写っていた。県内初の総合病院。最新設備の説明が延々とつづられていた。

訪れた病院で面会したリハビリの担当医は想像以上に若かった。しかも医者の証ともいうべき白衣を着ておらず、クビにかかったストップウォッチが部活の顧問をほうふつさせた。巨大で、必要以上に清潔感のあるものに猜疑心を抱いてしまう年頃だった僕は彼の風貌に少し安堵した。

医師は自販機でポカリを2つ買い、1つを僕に渡してこう訊いた。

「で、どうしたい?」

数ヵ月後までのリハビリメニューを手渡され、細かな指示を受けるのかと思っていた僕は唐突の質問に上手く答えられなかった。「どうしたい」かは、医者が決めるのだと思っていたのだ。

医師はもう一度「いつまでに、どこまで回復したい」と僕に訊いた。

「また左足でしっかり踏ん張れるようになりますか?あと秋に新人戦があります」。僕は小さな声でそう答えた。

町の医者から渡すようにと言われていたカルテを眺めた医師は、「きついけど頑張れる?」と僕の目を見て言った。それは厳しいけれど優しい視線だった。その時僕は、理屈抜きにこの人を信頼してみようと思った。素敵なパンフレットの中の最新設備などではなく、「じゃ、一緒に考えよう」と言った目の前の医師を。

デザイナーは医者に例えられるかもしれない。医者は患者を助け、患者と一緒に問題に取り組むことはできても、患者に代わって問題と向き合うことはできない。医療の現場の主役はあくまでも患者であり、素晴らしいデザインはデザイナーに丸投げしては生まれない。
「デザイナーはクライアントのために働くのではなく、クライアントと一緒に働く」のだ。両者は目的を共有したチームである。

医者は患者の益のために治療計画を立てる。個人的喜びのために痛くもないお腹にメスを入れる者を誰も医者とは呼ばないだろう。同じように、デザイナーも自分のエゴのためではなくクライアントの益のために、デザインのプロとしての意見を「処方」する。それを受け入れられるかは、クライアントがデザイナーを信用できるかに大きくかかっている。

そのために「クライアントはデザイナーの能力を知る必要がある」。デザイナーの過去の仕事を学び、関心のあるデザイナーと実際に話してみる。人としての資質を感じてみるべきなのだ。

複数のデザイナーにアイディアだけを出させて依頼先を決める従来の方法では、デザイナーの技量は分かっても、そのデザイナーと働くという情景は見えてこない。第三者へのコミュニケーションの道具であるデザインを考えるべきチームメイトを、もっともシンプルなコミュニケーションである「話す」こともせずに決定しては、笑い話にもならない。この人だと思うデザイナーにめぐり合うまで、あきらめず話し続けて欲しい。

きついリハビリに耐えて出場した新人戦。踏み込んだ僕の左足は地面をしっかりと噛んだ。振り抜いた右足が蹴り上げたボールが秋空に描いた放物線を、僕は今も忘れない。

「少し冷たい風にあたってきます」とマックの画面上に書き残して消息を絶ってしまった遠藤氏に代わって、今回はフライングマシーンのクリエイティブディレクターで、これまでにCBSスポーツやUSオープンなどのデザインを担当してきたミーハ・リス氏に伺った話を取り入れ、記者の佐藤が執筆しました。悪しからず。