「21世紀の国富論」
日曜日, 2月 8, 2009 at 6:33午前 仕事でニューヨークに来て一月が経ちました。
自分なりに精力的に動き、
いろんな方にお会いして
たくさんの話を聞いて
毎日新聞を読んでニュースを見ています。
大統領がかわり
議会では大掛かりな公的資金投入が審議されております。
昔、雪かき会社にもぐりこんでいた時に知り合った仲間の多くは
トラックドライバーをしていますが
全米で200近い運送会社がつぶれたそうです。
物が売れず、モノが動かない状況が起きています。
そういう文脈の中で
「21世紀の国富論」を読みました。
会社は誰のものか。
仕事ってなんなのか。
ここ数ヶ月考えていることに
丁寧な可能性を提示している内容です。
思うに、人に先んじるのが資本主義経済の勝者なのかもしれませんが、
先んじる背後には必ず
遅れる存在が不可欠だということを忘れてしまったのかもしれません。
一等賞もビリも同じレースを走っているんです。
人間関係が希薄な現在社会が形成されたと仮定して
それってつまりは
誰も彼も答えを急ぎすぎている社会なんじゃないかって気がしています。
スピードは僕らが生きる社会のキーワード。
直線の道を時速200キロ以上のスピードで走ったことがありますが、
スピードが上がった世界では視界が極端に狭くなります。
そして気がつくと、遠くもまた見えなくなるんです。
そういう社会だから、未来の人類への関係も同様に希薄になって
極端に自己中心的な行動に走ってしまうのかもしれません。
CEOが企業の将来や社会への影響よりも
三ヵ月後の自分の評価と報奨金を最優先するように。
スピードは文化にも根深く反映されています。
レイプやドラッグ、妊娠に中絶なんかの悲劇が
矢継ぎ早におこる流行のケータイ小説が
「やっぱり大切なのは愛よね」と結論を急いで出したがるのは、
僕らもまた結論を急いでいるからなのでしょう。
でも本当はね、
結論なんて出ない想いや関係の方が人間らしかったり愛しかったりするんです。
誰かを好きになったり、お付き合いを始める時に「結論を出す」なんて言わないじゃないですか。
結論は時に「別れ」だったりするのだから。
結論を急がない人生は、いろんなものを引きずって生きる人生のことです。
いつの時代から、引きずるってことがマイナスのイメージを持つようになったのでしょうか。
万葉の世界では、人は最後まで引きずったなにかを大切に生きています。
そんな世界のほうがずっと、僕には人らしく、、男らしく。女らしい。
佐藤寛孝 |
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