17年目の読書感想文
日曜日
2082009

「21世紀の国富論」

仕事でニューヨークに来て一月が経ちました。
自分なりに精力的に動き、
いろんな方にお会いして
たくさんの話を聞いて
毎日新聞を読んでニュースを見ています。

大統領がかわり
議会では大掛かりな公的資金投入が審議されております。

昔、雪かき会社にもぐりこんでいた時に知り合った仲間の多くは
トラックドライバーをしていますが
全米で200近い運送会社がつぶれたそうです。
物が売れず、モノが動かない状況が起きています。

そういう文脈の中で
「21世紀の国富論」を読みました。

会社は誰のものか。
仕事ってなんなのか。
ここ数ヶ月考えていることに
丁寧な可能性を提示している内容です。

思うに、人に先んじるのが資本主義経済の勝者なのかもしれませんが、
先んじる背後には必ず
遅れる存在が不可欠だということを忘れてしまったのかもしれません。
一等賞もビリも同じレースを走っているんです。

人間関係が希薄な現在社会が形成されたと仮定して
それってつまりは
誰も彼も答えを急ぎすぎている社会なんじゃないかって気がしています。

スピードは僕らが生きる社会のキーワード。
直線の道を時速200キロ以上のスピードで走ったことがありますが、
スピードが上がった世界では視界が極端に狭くなります。
そして気がつくと、遠くもまた見えなくなるんです。
そういう社会だから、未来の人類への関係も同様に希薄になって
極端に自己中心的な行動に走ってしまうのかもしれません。
CEOが企業の将来や社会への影響よりも
三ヵ月後の自分の評価と報奨金を最優先するように。

スピードは文化にも根深く反映されています。
レイプやドラッグ、妊娠に中絶なんかの悲劇が
矢継ぎ早におこる流行のケータイ小説が
「やっぱり大切なのは愛よね」と結論を急いで出したがるのは、
僕らもまた結論を急いでいるからなのでしょう。

でも本当はね、
結論なんて出ない想いや関係の方が人間らしかったり愛しかったりするんです。
誰かを好きになったり、お付き合いを始める時に「結論を出す」なんて言わないじゃないですか。
結論は時に「別れ」だったりするのだから。
結論を急がない人生は、いろんなものを引きずって生きる人生のことです。

いつの時代から、引きずるってことがマイナスのイメージを持つようになったのでしょうか。
万葉の世界では、人は最後まで引きずったなにかを大切に生きています。
そんな世界のほうがずっと、僕には人らしく、、男らしく。女らしい。

金曜日
11282008

「その数学が戦略を決める」イアン・エアーズ

正直言って、この本を読んで感想文を書く気になんかなれないし
一人で感想文なんか書いているくらいなら、
この本について
ここに書いてあることについて
誰かと話がしたいのです。

何度も読み返して、
どんどん眠れなくなっていきます。

誰か読んだ人?
連絡待つ。


水曜日
11192008

Into the Wild




読書感想文って自分から書きたいって思って書くもんじゃない気がする。
誰かに書かされて書くものなのだ。

その誰かが、
学校の先生でも、担当編集者でも、
コンテンツがアップされていないウェブサイトでも。

書かされて書いた感想文のほうが
僕はなぜか信用できる。
大抵、逆だ思われているけども。

ショーン・ペン監督の新作「Into the Wild」を観る前に
原作を再読しておこうと思って東京中の本屋さんで英語版を探した。
大学の時に一度読んでいたけど、
あの時は、英語で読む時間がなくて
その上お金もなくて
マンハッタンの紀伊国屋で
日本語版を半日立ち読みしたのだ。

っていうことで、
英語版「Into the Wild」を探した。
ある意味でリベンジ的想いもあったわけで、
「Into the Wild」に関する感想文を書きたかった。

なのに、この感想文(というか、多分その体裁すら保てていないもの)は
「Dispatches from the Edge」という
アンダーソン・クーパーの著書に関してへと
大きく変更することになってしまった。

クーパー氏はCNNのアンカーマン。
多分、現在のアメリカのTVジャーナリストとしては
特筆して有名で人気がある人だ。
クーパー氏が参加する講演会やフォーラムはチケットが手に入らない。
(もともとあんまり参加しないし。)

「Dispatches from the Edge」はクーパー氏の自伝であり
特派員としてのレポートである。


戦争や内戦を人災。
地震やハリケーンは自然災害だとして。
どちらにしても、
災害現場に身を置くことで自らの「生」や
家族の「死」を感じてきた著者の言葉と言葉の間。
いわゆる行間に込めたってほど隠されてもいない、
案外おおっぴらな事実の数々。

例えば、

人の死はいうほどドラマチックなんかじゃないってこと。

誰かの死を、
ドラマチックに描き、
伝えているのは、
感じているのは、
カメラであり、
言葉であり、
つまりは人であるってこと。

災害と死のあふれた社会は混沌としているけど
同時に日常でもあるってこと。

残酷な少年兵は被害者か加害者かって問題みたいに
単純な答えなんかないってこと。

全ての死が、全ての悲劇が、僕たちにとって平等に悲しいわけじゃないってこと。



家族の死と災害現場の無数の死をいったりきたりしながら
たぶん、ジャーナリズムの極みと限界が
この本には築かれている。
人の言葉は発せられた瞬間に死んでいるって。
すっごく逆説的で矛盾したことを
あっさりと書いちゃっています。それって脱帽です。


で、

「Into the Wild」の主人公は死んで言葉を失った若者だと思っていた。

でも、「Dispatches from the Edge」を読んだ時、
その主人公は著者であるアンダーソンなのか、
それとも彼が見つめた無数の死者たちだったのか、
正直わからなかった。

そうであるならば、「Into the Wild」の主人公もまた、
登場する全ての死者たちなのかもしれない。

いやもっと言えば、
言葉が発せられて瞬間に「死ぬ」ものであるならば、
本当は旅の終わりに社会復帰という名の「再生」を果たす筈であったかもしれない
クリス・マッカンドレスについて、
そしてその彼を襲った最終的なんだけど読み始めて直ぐに知らされる死について、
そして他の者の死について、
尋ねられた人が語る全ての「死んだ言葉」もまた
物語の主人公だったのかもしれない。

この本の中に横たわる無数の屍。
その有り様から目をそむけずにいるのははっきりいって難しいぞ。

だから、読み終えて、救いや慰めをドラマチックに描くのもまた、人。
ショーン・ペン監督の最大の功績は
人として抱く、当たり前の願望から逃げなかったこと。

土曜日
5312008

4分間のピアニスト

piano.jpg

映画を見に行って大笑いしたり
大粒の涙を流したりすることがある。
安くない料金を払って二時間の娯楽を買うのだから
泣けたり笑えたりする映画に出会えるのは重要だ。

主人公のジェニーを演じた
ハンナー・ヘルツシュプルングという若い女優の
演技がとにかく圧巻だった。
こんなに混乱した役を
ここまで真っ直ぐ逃げずに表現できるのである。
その一点だけでもこの映画は見る価値がある。

劇中で流れる全ての音楽は文句なしにすばらしいものなのに
この作品はけして「音楽とはすばらしい」なんて言っていない。
なんというか、二人の天才が交じり合おうとして
けして交じり合うことのない世界では
そんなに安易なテーマを描いていないのだと思う。

ドイツですごい映画が作られたと聞いて
のこのこと映画館に出向いて行った僕は
ただただ言葉を奪われてしまった。
この作品を見て、
もし涙が流れるとしたら
それは言葉を奪われた、その後だと思う。

4分間のピアニスト

日曜日
3302008

「雨の木」を聴く女たち

という短編集を読んでいます。(著者:大江健三郎)

めったに小説等を読まない私がなぜこの一冊を読んでいるかというと
今弾いている日本人作曲家:武満徹さんの「雨の樹素描」という曲のタイトルは
ここからきていると先輩が教えてくれたからです。

マンハッタンの紀伊国屋では在庫切れだったので日本からとりよせました。
父が送ってくれたそのカバーがなんと
新宿の紀伊国屋のカバーだったのは
それはそれで偶然だなあと。

雨の木はハワイにあって
指のはらくらいの葉っぱがたくさんついてて
真夜中にふった雨がその葉っぱにたまり
そして少しずつその水が地面におちていく感じ。
しずくのような感じ。
次の日の昼間まで水分を確保できるというのです。
晴れたハワイの木の中でその木のまわりだけは
いつも湿っている。

このミステリアスな雰囲気をもつ真夜中の木と
葉っぱが風に吹かれてなんかうなってるような感じの音と
水がしたたり落ちる音がたくさん入ってるんです。この曲には。

でもまだよく分からないのは
なぜこの曲(雨の樹素描Ⅱオリビアメシアンの追悼記念のために書かれた曲)の
タイトルに雨の木が選ばれたのか。

武満さんと大江さんはお友達だったそうです。
理由はそれだけではないよね。もちろん。

大江さんのこの短編集を読んでいると
「人が死に向かって生きている」
という表現が何度も使われています。
なんてネガティブな人だろって最初から思ってたんだけど
あることを思い出したの。

何年か前にガンの治療を受けていたある友人が
「死を身近に感じる」って言ってた。
重い言葉だなってその時思った。

昨夜ぴなこの叔母が病気で亡くなりました。日本からの連絡でした。
先週叔母を姿を見た母が
「自分がもうすぐ死ぬというのを知るというのは。」って
言葉につまったのをふと思い出した。

この作者もものすごく死のことを考えている。
そして雨の木。水の音を鳴らしながら生きている。。
そんな対比?かなああ。

よくわかんない。
もうおしまい。